奥羽越列藩同盟の諸藩が次々に新政府軍に恭順する中で、同盟の盟主だった仙台藩も明治元年9月10日の評定において主戦派が斥けられ、遂に藩論は降伏へと変化することとなった。この事態を憂慮した榎本武揚は、12日に土方歳三を伴って仙台城に登城し抗戦を続け…
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