幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

古写真

明治2年横浜、木戸孝允の写真

木戸孝允はその生涯で数多くの肖像写真を残している。 自らの容貌に自信があったため写真を残すことを好んだのだろうか。だとしたら、ややナルシスティックな人物像を感じる。 木戸家の後裔に伝わった「旧侯爵木戸家資料」は国立歴史民俗博物館に寄贈され、…

井野左近春房

井野左近春房 慶応元年大坂心斎橋の中川信輔の写場で撮られた肖像写真。 井野家は三河以来の譜代の幕臣。 左近は小十人格、歩兵指図役頭取を勤めたという。江川塾で砲術、講武所で洋式調練を学ぶ。幕府の陸軍人として慶応年間は将軍上洛にあわせて京都大坂へ…

ぐろりあ・そさえて版でいこう!アメリカ彦蔵

『開国逸史 アメリカ彦蔵自叙伝』(ぐろりあ・そさえて社、昭和7年) アメリカ彦蔵の自叙伝は最初英文で書かれ『 Narrative』(ナラティブ)と題され丸善から明治25〜28年に上下2巻で出版された。邦訳は、先ずは上巻の方を土方久徴が訳して『漂流異譚開国之…

松平春嶽

今回も幸田露伴の「幕末の政治家」から。 松平春嶽です。思案顔、愁い顔で威厳がなく気魄も薄い…。 〈松平春嶽 門地は高き人なれど威やや乏しく、身の丈は普通、やせ形にて面の色青白く、殿様らしくも見ゆれど、俗にいふ思案顔または愁ひ顔ともいふべき歟、…

大久保一翁

幸田露伴の「幕末の政治家」から、今回は大久保一翁の印象記を抜き出してみる。 錆びた声で物静かに語り、光輝く目をしていた。雰囲気のあるシブい大人であったのだろう。 〈大久保越中守 顔の構へ立派にて容儀好く、俗にグリ眼といふ眼にて、其ぎらぎらと光…

西郷隆盛の肖像

再来年の大河ドラマが西郷隆盛に内定したということを知った。 まだ先のことなのでだいぶ気が早いかもしれないが、しばらくしたら大河ドラマ需要で洪水のように西郷隆盛に関する書籍が出版されるだろう。 その出版ラッシュの際には、ぜひ再版してほしい本が…

伊庭八郎の顔

上の写真は伊庭真であるが、この人は伊庭八郎の実父である伊庭軍兵衛秀業の従弟だそうだ。 親類で顔というのはどのくらい似るものなのだろうか? 伊庭八郎の顔はどんな顔だったのだらろう。 八郎の弟の伊庭想太郎の輪郭や顔立ちも伊庭真と似てるといえば似て…

鶴ヶ城本丸御殿の写真

会津若松の鶴ヶ城の古写真の中でも、天守と本丸御殿が写っているものがある。会津若松市教育委員会の所蔵写真で諸書に掲載されているが例えば『保存版 古写真で見る失われた城』(世界文化社、2000)で見ることができる。どの本も同じ画角での掲載なので、教…

佐賀藩士 亀川新八

佐賀藩は三重津海軍所が設置されるなど薩摩と並ぶ海軍藩として知られる。そんな佐賀出身でありながら陸軍に進み佐賀人初の陸軍大将になったのが宇都宮太郎である。 宇都宮太郎は文久元年に佐賀藩士亀川新八貞一の長男として生まれた。父の死による御家断絶に…

お龍がもっていた龍馬の写真

明治三十二年十一月『土陽新聞』に「千里の駒後日譚拾遺」と題して連載された川田雪山(瑞穂)によるお龍への聞書があるのはご存じの方も多いだろう。当時お龍が所蔵していた坂本龍馬の肖像写真に関する証言が含まれる。 その部分を抜き出してみよう。 ◎龍馬の…

三宅友信

三宅友信の肖像写真を絵葉書にしたものを入手した。 明治2年の撮影の肖像だという。敷物は初めて見るもので、セットから写真師が誰かを類推することができない。 三宅友信 「名は鋼蔵、毅齋と号す。三河国田原藩主十一代康友侯の第四子にして封を受くべくし…

若き日の馬場辰猪

長崎でフルベッキに学んでいたころの若き馬場辰猪。左から二人目だ。 上野彦馬の写場。馬場は土佐人だから撮影したのは井上俊三かな。 『明治名著集』〈太陽, 臨時増刊第13巻第9号〉(博文館, 明治40年) の口絵写真。この写真だけが目当てで買ってしまった。

ダッチワイフと徳川慶喜

幕末に朝廷の図書寮史生だった舟木宗治(号柳昇)はあまりに小禄だったため副業として宮中、宮家、門跡、堂上方に出入りして御手道具、袋物、小間物、玩弄具などを調達することも生業もしていた。舟木は生来の記録魔でもあったためその立場を活かして自らの…

長身でロン毛のメガネ男子 陸奥宗光

西南戦争に乗じて政府転覆を謀った立志社事件に関与した陸奥宗光は、禁獄5年の刑に処せられ山形監獄、続いて宮城監獄に投獄される。 明治16年赦免。 出獄し東京に帰る前に記念写真を撮った。 左から二人目。長身、ロン毛。メガネ男子の陸奥宗光である。 宇…

山田顕義

明治4年、米欧を歴訪する岩倉使節団の中に少年みたいな人物が加わっているのを見つけて欧州人は驚いたそうだ。 山田顕義のことである。 「顕義、時に歳未だ三十に満たず、矮小にして白皙無髭なり、欧人、皆怪み問ふて曰く 日本には少年の将官あるやと。」

有馬藤太の写真

流山で近藤勇を降伏させ、その助命を訴えていた薩摩藩士 有馬藤太(真ん中の人物) 晩年の立派なヒゲの写真(『維新史の片鱗』)は知られているかと思います。こちらはそれよりもだいぶ若い時の写真。 両サイドは左が今泉利春(佐賀藩)、右は近江西郷と言わ…

木戸孝允の写真

木戸孝允の名刺版鶏卵写真5種

ワキガの臭いが好きだった後藤象二郎

田中光顕の証言によると後藤象二郎はワキガの臭いが好きだったらしい。 「(後藤は)是が又変つた男でね。腋臭の臭ひが好きだと云ふのぢや。それで女の腋臭の臭ひをハンケチに付けて時々出して嗅いで見ると云ふのぢや」 『伯爵田中青山』(田中伯伝記刊行会…

美少年すぎてしまった福岡孝弟

藤次と名のっていた若いころの福岡孝弟は土佐藩中一ともいわれるほどの大変な美少年だった。その美貌ゆえにとんだ災難にあったことがある。壮年の藩士8人に山に連れ込まれ強姦された(されそうになった?)というのだ。 荘司晋太郎『海南愛国民権家列伝』(明治…

大鳥圭介の写真3

これは楕円のマスクがついて下部に出身と名前が入った典型的なお土産販売写真。 旧幕臣だからシツヲカとなっている。

大鳥圭介の写真2

大鳥圭介の写真1

大鳥圭介の肖像 名刺判鶏卵写真 痛みがはげしい…

大鳥圭介と大砲の写真

『実写奠都五十年史』(同刊行会、大正8)より 大鳥圭介・篠原太郎・安達敬三郎とが大砲と一緒に写っている写真がある。ウィキペディアの大鳥の項で見られる写真、というか『写された幕末 人物篇』(アソカ書房、昭和37)に載っている写真なのだが、もともとは…

山内六三郎

色黒の山内六三郎。 内藤遂『遣魯伝習生始末』(東洋堂、昭和18年)より。 パリや箱館で撮られた山内六三郎の肖像写真を見ると白皙のモダンボーイという感じなのだが、この写真のはすごくワイルドな男に写っている。 当時の写真は黄色に感光し易いので、日本人…

榎本武揚の写真2

この榎本の肖像は若めなので、出獄後くらいだろうか。 台紙がかじられていてコンディションは悪い。

榎本武揚の写真

小沢健志『幕末 写真の時代』(筑摩書房)にもほぼ同じものが掲載されている。箱館戦争時に撮られた榎本の肖像の複写で明治10年代に写真舗で販売されたもの。

幕府海軍一等士官 矢作平三郎

幕府海軍一等士官 矢作平三郎 「矢作平三郎(後、沖麿)は古河藩土井侯の世臣(禄百石)矢作小一郎の三男にして天保五年甲午歳生る、夙に勝海舟の門に入り幕府の海軍教習所に学び、累進遂に軍艦役一等士官となり、回天號に次将たり。明治二年三月廿五日宮古湾に…

創建時の松陰神社

松陰神社というのは明治23年に松陰の実家 杉家の邸内、松下村塾の西側に松陰の実兄の杉民治が土蔵造りの私祠として建てたものが始まりなのだそうだ。 その土蔵造りの創建時の松陰神社の写真を。 この土蔵造りの旧社殿は松下村塾の門人を祭る松門神社となって…

「贈従五位 赤松小三郎先生顕彰記念」

昭和17年は赤松小三郎の顕彰の重要な年のようだ。上田城二ノ丸に「贈従五位赤松小三郎君之碑」が建立されたのが画期となったのか、京都でも京都信濃会により小三郎遭難の地に石柱が建てられた。また墓所である黒谷金戒光明寺の善経院にも菩提寺であることを…

松平源太郎の写真

2014年にNHKの番組がきっかけで発見された慶応3年11月の龍馬直筆の書簡(草稿)。大政奉還の後、越前を訪ねた龍馬が帰京後に後藤象二郎への報告のため記したもので、そこには福井での三岡八郎と龍馬の会談に越前藩の立会人として同席した松平源太郎の姿も活…