幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

史蹟

ある会津人の殉職

埼玉県東松山市の松山神社境内には渡辺隆治という人物の頌徳碑がひっそりとたたずんでいる。会津の人。 渡辺隆治は会津藩士の子として万延元年に生まれる。幕末や戊辰の争乱をどう生きたのかは不明だが、明治10年に埼玉県に来ると四等巡査の警察官となる。勤…

根岸信五郎と藤田五郎

埼玉県戸田市本町の多福院という寺院に高さ3.7メートルにもなる巨大な石碑「根岸先生之碑」があります。 根岸信五郎資剛は長岡藩士。神道無念流の錬兵館に学ぶ。慶応元年に免許皆伝を得て錬兵館の師範代となる。北越戦争では官軍との戦闘で重傷を負う。明治…

屋代義雄のこと

埼玉県羽生市の建福寺には田山花袋の小説『田舎教師』の主人公のモデルとなった小林秀三のお墓がおりますが、同寺には屋代義雄という人の墓碑もあります。 屋代義雄は南部の出身で、旧名を高田立春という医師でした。幕末江戸に出て佐藤舜海や松本良順につい…

五代友厚と寺島宗則の亡命先

文久三年七月、薩英戦争で英艦隊の捕虜になった五代友厚と寺島宗則は横浜で釈放されると、清水卯三郎に救護され清水の姉婿にあたる吉田六左衛門を頼って埼玉は熊谷の四方寺村で亡命生活を始める。六左衛門の屋敷の表二階に潜んだ。後年屋敷を解体する時に二…

本庄宿篝火事件は解明されたのか

文久3年2月10日、その2日前に江戸を発した浪士組は中山道本庄宿に宿をとった。そこで起きたとされるのが芹澤鴨による本庄宿篝火事件だ。 この事件に関しては菊地明氏に「本庄宿篝火騒動の真相」(『ここまでわかった!新選組の謎』新人物文庫、2015年)があ…

沖田総司と滝沢馬琴をつなぐ一族

釣洋一先生のご研究によって、いま私たちは「滝沢馬琴と沖田総司は親戚」という歴史の不思議な縁を知ることができる。このことは新選組に少なからず興味をもつ私などにとっては大いなるよろこびだ。 先年、その滝沢馬琴と沖田総司を系図上につなぐ一族、真中…

新選組 成合清の叔父さん

日光街道旧粕壁宿(春日部)の東陽寺に旧桑名藩士 浅野蕉斎の記念碑が建っています。 文政7年に桑名で生まれた浅野は、藩の御側役や勘定頭も勤めた優秀な藩士でした。藩主が京都所司代となり藩内多事を極める中、会計の任にあたりよくその職に尽くしたといいま…

蛭川一の顕彰碑

伊東成郎さんがお書きになったものに「新選組金談一件」(『三井文庫論叢』)という史料の紹介があります。その史料によると土方歳三は「室賀美作守様御用人之次男之由」と書かれているそうです。土方が旗本・室賀美作守の用人の子供だったという事実はない筈…

彰義隊士 水橋右京之亮の墓

埼玉県深谷市畠山にある満福寺というお寺は、畠山重忠が寿永3年(1184)に再興したという由緒ある真言宗の古刹です。そのお寺に慶応四年五月二十九日にこの地で没した彰義隊士水橋右京之亮の墓があります。 水橋は「此士上野及飯能に敗れ、顔振峠竹澤臺福寺…

甘利源治の墓

中村彰彦の短編小説に「甘利源治の潜入」という作品がある。 韮山の農兵だった原宗四郎という男が会津藩に密偵として仕えて甘利源治と名乗り、幕府への挑発のために浪士を集めて御用盗騒ぎを起こし江戸市中を撹乱していた薩摩藩江戸藩邸に潜入し、その策謀と…

長唄の師匠となった彰義隊士関弥太郎

岡安喜平次こと関弥太郎は幕臣として船橋(撒兵隊)から上野、箱館(彰義隊)と戊辰戦争を戦った人物。その墓が埼玉県鴻巣市の法要寺にある。 関弥太郎は明治9年頃から鴻巣に住んで、岡安喜平次と変名し、長唄の師匠となって風雅の道に世を過ごした。その門弟は…

矢田部郷雲の墓

江川坦庵に仕えた幕末の蘭学者矢田部郷雲の墓をその生地に訪ねた。 矢田部郷雲は文政二年に埼玉県上里町勅使河原字天神の荒井家に生まれる。 江戸深川の坪井信道の日習堂に入門し蘭方医学と蘭語を学んだ。 坪井の門人録には「矢田文庵 武州賀美郡天神村 改名…