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幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

新選組

鵜殿鳩翁の「浪士姓名簿」は現存していた!

本日、ツイッターにて貴重な情報を瓢中舎貞秀さまから教えていただきました。いやー、驚きです。瓢中舎貞秀さま、心より感謝申し上げます。 なんと!東京大学法学部に「浪士姓名簿」が所蔵されているという。その裏表紙には「御取締役 鵜殿鳩翁」と記名があ…

鵜殿鳩翁の「浪士姓名簿」

東京は上野に明治10年から続く老舗古書店 文行堂の戦前昭和13年9月発行の目録第17号に「浪士姓名簿」が出品され当時35円で売られた。(ちなみに同目録に高橋是清の自筆演説草稿も載るがそちらは30円。公務員の初任給は75円くらいだったそうだ) 目録には背開…

藤堂平助の妹

新選組の藤堂平助の実家と考えられる5000石の旗本藤堂家のことに関してはこのウェブログでとりとめもなく書いているが、いま少し書き加えるべきことが出来たため、いささかくどくはあるがこの話題を続けたい。 旗本藤堂家の采地は江戸近郊では武州の七ヶ村に…

慶応元年6月、岡崎に来た新選組隊士たち

遠州浜松にあった普大寺は江戸時代、虚無僧寺で普化宗金先派の本山として1613年に宗慶禅師により浜松に創建された。しかし明治に入り普化宗の廃宗に伴い廃寺となった。 廃寺となった寺の本堂は小学校として利用された。たまたま音楽の授業で使われていたアメ…

藤堂秉之丞の系譜と家紋

先に「維新階梯雑誌」の中の文久3年12月の新選組の名簿に 「平之丞妾腹惣領ノ由 江戸 藤堂平助 十九才」 とあることから、藤堂平助は湯島三丁目に屋敷をもつ5000石の旗本藤堂秉之丞の妾の長男だろうということを書いた。 しかし他にも、 「京師騒動見聞雑記録…

藤堂平助の父親 藤堂秉之丞

『別冊新選組REAL 新選組10人の組長』(洋泉社MOOK)が先ほど発売された。「維新階梯雑誌」の中の新選組の名簿が掲載されていて読むことができる。 私のような横着者には注目の名簿がなんの手続きもしないで簡単に読めるというのは嬉しい。 文久3年12月に会…

伊庭八郎の顔

上の写真は伊庭真であるが、この人は伊庭八郎の実父である伊庭軍兵衛秀業の従弟だそうだ。 親類で顔というのはどのくらい似るものなのだろうか? 伊庭八郎の顔はどんな顔だったのだらろう。 八郎の弟の伊庭想太郎の輪郭や顔立ちも伊庭真と似てるといえば似て…

鶴ヶ城のエッチング

明治5年、外国人の自由な国内旅行が許されていなかったときに、一人のフランス人神父が二人のスイス人と一緒に新政府の許可を得て、函館から東北地方を縦断し横浜まで旅をした。パリ外国宣教会所属のJ.M.マラン神父である。同行のスイス人は横浜で貿易商を営…

鶴ヶ城本丸御殿の写真

会津若松の鶴ヶ城の古写真の中でも、天守と本丸御殿が写っているものがある。会津若松市教育委員会の所蔵写真で諸書に掲載されているが例えば『保存版 古写真で見る失われた城』(世界文化社、2000)で見ることができる。どの本も同じ画角での掲載なので、教…

子母澤寛の祖父は幕臣だったのだろうか?

子母澤寛の祖父というのは微禄の御家人であり、上野彰義隊に参加し、敗れたのち箱館でも戦い降伏。士籍を返還して札幌近郊の開墾を経て厚田村に流れ着いて網元や貸座敷業や旅館業を営み、土地の顔役として生涯を終えたという。 この祖父に盲愛にも似た可愛い…

明治40年8月5日の報知新聞「近藤勇」

キリスト教の伝道者で明治女学校の創立者で校長、また小諸義塾を開設した木村熊二は明治教育史、文学史上に語られる人である。 しかし私にとってはこの人は幕末維新史の人である。 木村熊二は但馬出石藩の儒官の子として生まれ昌平黌に学び幕臣の家に養子と…

新選組 成合清の叔父さん

日光街道旧粕壁宿(春日部)の東陽寺に旧桑名藩士 浅野蕉斎の記念碑が建っています。 文政7年に桑名で生まれた浅野は、藩の御側役や勘定頭も勤めた優秀な藩士でした。藩主が京都所司代となり藩内多事を極める中、会計の任にあたりよくその職に尽くしたといいま…

原田左之助は龍馬と別府温泉に入ったのか

明治17年の11月の『東京自由新聞』第735号の雑報に「二宮新吉傳一夜説」という記事が載った。伊予宇和島の志士二宮新吉(呉石)の事歴に関する投稿記事で、投稿したのは二宮新吉を知る東京麻布に住む青木知友と名乗る人物。 この記事に興味深いことが書かれ…

砲術家としての藤堂平助

新選組の藤堂平助は撃剣家の他にも砲術家としての一面があった人である。このことはもっと世に知られるべきことではないか。 池田屋事件の働きで褒賞を受けた藤堂平助は元治元年8月には江戸に下り、以後しばらく江戸に在って隊士募集の役を担っていたとされ…

ヒゲを生やした土方歳三⁈

箱館では実はヒゲを生やしていた土方歳三⁈ 『大日本名家肖像集」(経済雑誌社、明治40年)が掲載するものだ。 いやいや、川村録四郎の別バージョンの写真だろうて。※追記好川之範『土方歳三最後の戦い 北海道199日』(北海道新聞社、2014)もこのヒゲ土方を…

有馬藤太の写真

流山で近藤勇を降伏させ、その助命を訴えていた薩摩藩士 有馬藤太(真ん中の人物) 晩年の立派なヒゲの写真(『維新史の片鱗』)は知られているかと思います。こちらはそれよりもだいぶ若い時の写真。 両サイドは左が今泉利春(佐賀藩)、右は近江西郷と言わ…

戊辰九月三日と六日の土方歳三

「出城劄記」は磐城平藩士神林千次郎が戊辰七月十三日の平城落城から筆を起こした戊辰戦争期の日記である。鶴翁安藤信正を擁して仙台に北走する過程を記す。仙台に入ると城下片平丁の石川大和邸に仮藩邸を置いて、奥羽列藩同盟の一藩として落城後もなお列藩…

描かれた土方歳三6

「土方歳三肖像画賛幅」 えっ!マジか! と若者ことばを使いたくなるような驚きがあります。

描かれた土方歳三5

清水米洲『絵本明治太平記』(明治19年)より。 先に投稿した本と同じような題名ですが別物の本です。 この土方は深夜のコンビニの店先に座っている兄ちゃんのようですね。

描かれた土方歳三4

村井静馬著『明治太平記 五編 上』(延寿堂、明治8年)の挿絵。

描かれた土方歳三3

この土方歳三は樋口雄彦先生の『箱館戦争と榎本武揚』〈敗者の日本史17〉(吉川弘文館、2012)に載っているのでその本で見てこの微妙な感じに戸惑った方も多いかと思います。 岡田良策編輯『徳川義臣伝』(金松堂、明治16)という袖珍本より。

描かれた土方歳三2

子母澤寛『幕末巷談』(塩川書房、昭和5年) 2円50銭 装幀、挿絵 : 河野通勢 子母澤寛の幕末もの。小笠原壹岐守、侠客の佐原喜三郎や相模屋政五郎、三河屋幸三郎、新選組や彰義隊などを取り上げる。 稗田老人(池田七三郎)の「新選組聞書」は最初はこの本に収ま…

描かれた土方歳三

会津戦争の際、福良在陣中の白虎隊士が宿舎が隣だった土方に親しんだという話があります(『旧夢会津白虎隊』)。 また土方には福良で警備中の白虎隊士・ 安藤藤三郎の誰何を無視し、安藤に威嚇射撃されて、素直に詫びるというエピソードもあります(『会津戊辰…

子母澤寛『新選組始末記』『新選組遺聞』

子母澤寛『新選組始末記』(萬理閣書房、昭和3年)この本は荻窪のささま書店で1000円で買ったっけ。でも函がない…。パンツを穿いてないようで落ち着かない…。子母澤寛『新選組遺聞 』(万里閣書房、昭和4年)装丁はこんな感じだったんです。大津絵風?の鬼、ど…

平尾道雄『新撰組史』『新撰組史録』

平尾道雄の新撰組研究の古典的名著のいろんな版を持っていたりする。左から 『新撰組史』(私家版、昭和3年) 『新撰組史録』(育英書院、昭和17年) 『新撰組史録 改装版』(岬書房、昭和48年) 『定本新撰組史録』(新人物往来社、昭和52年) 『定本新撰組…

会津の「旅館 清水屋」

明治15年、自由民権活動家の田母野秀顕、宇田成一らが反民権派の旧会津藩士ら(帝政党の面々)の襲撃をうけてボコボコにされてしまった「清水屋事件」の舞台。というよりも戊辰戦争の際、戦傷療養中の土方歳三が泊まり同宿の幕臣望月光蔵と口喧嘩になって望月…

新選組に斃された男 宮永良蔵

宮永良蔵は、越中国砺波郡福光村出身の蘭医。 医師宮永東作の子として天保四年に生まれる。 嘉永三年医術を学ぶため京に上がる。叔父の僧侶玉瑛のもとに身を寄せ、名医角山に医学を学ぶとともに緒方洪庵、新宮涼亭らの大家と交わる。知恩院上立売下ルで医家…