幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

「逃げの小五郎」の夜明け前

桂小五郎の異名とされる「逃げの小五郎」。 実際ににそんな風に呼ばれていたのかという問題については、Wikipediaの司馬遼太郎の短編「逃げの小五郎(小説)」の項に明快に答えが述べられている。引用させてもらおう。 【現代では様々な桂小五郎の紹介に、「逃…

「新撰組の隊員 杉山久次郎墓」

『伊勢崎史話』第10巻8号〈通巻112号〉(伊勢崎史談会、昭和42年)に菊池宗吉「今泉八幡宮の鳥居の額」という短い文章が載っている。 その文の後半部分に新選組隊士の墓を見つけた旨の報告が載っている。 大変興味深い。 以下に引用してみる。 【〇新撰組の隊…

大鳥圭介と板垣退助、戊辰戦争を語り合う

栗本鋤雲が面白いことを語り残している。「匏庵雑話」(『名家談叢』第一号、明治28年) 戊辰戦争の北関東でガッツリ対決・対陣した大鳥圭介と板垣退助。その経緯もあって明治に入ってからもお互いを強く意識してしまい挨拶すらできない間柄だった。モジモジし…

塚越鈴彦の伝記『金蘭簿物語』

塚越丘二郎『金蘭簿物語』(昭和4年) 塚越鈴彦の伝記である。またの名を塚越酸素彦とも名乗った。酸素!? 変った名前だ。実は訓みは同じ「すずひこ」。 小浜藩士で明治3年アメリカに渡った人である。明治6年に帰国。横浜税関の吏員となりその生涯を終えた。…

幕府軍艦 富士山 その2

富士山は明治9年9月から26ヶ月をかけて改造された。機関部分が撤去され、中央にメインマストが設けられ帆柱が3本になった。我々が富士山の船体の写真としてよく見るのは純帆船となったあと姿だ。帆走練習艦として横須賀鎮守府、呉鎮守府で日本海軍の若人たち…

幕府軍艦 富士山

『アサヒグラフ』(朝日新聞社)は1968年9月に「われらが100年」という増刊号を発行している。 維新から昭和までの歴史100年を写真で振り返るという新聞社系の出版物にありがちな内容のものである。 明治維新から100年なのはもちろんだが、その年の秋に東京百…

京都守護職屋敷剣術大会後の打ち上げ

前回の記事に続き中川四明の「怪傑岩倉入道」から落穂拾い的に面白そうな部分を抜き出したい。小見出し(三)華鬘結(けまんむすび)から、京都守護職屋敷でしばしば催された剣術大会のあとの打ち上げの様子を描写している箇所である。大会に参加した会津藩士や…

元京都見廻組・中川四明の書いた龍馬暗殺

明治時代の京都の代表的俳人だった中川四明。本名は重麗。別号は紫明・霞城。東大予備門教授、京都日の出新聞編集を経て大阪朝日新聞に勤めた。正岡子規と親交があり、満月会を興し新派俳句興隆を促した。 その四明は嘉永2年に京都町奉行与力下田耕助の次男…

北白川宮能久親王と清水谷公考や酒井忠篤たち

名刺判の鶏卵写真。明治6年か7年の撮影だろうと考えられる。留学先のベルリンで写された北白川宮能久親王を囲む公家・大名の子弟らの写真。『海外における公家大名展』(霞会館、1980年)や『坊城俊章 日記・記録集成』(芙蓉書房出版、1998年)といった図録や本…

江川英武の写真

最後の韮山代官だった江川英武の鶏卵紙名刺版の写真。その容姿に「幕末のイケメン」というタグをつけることに異論はないだろう。兄江川英敏の死により幼くして江川太郎左衛門家を継承し韮山代官となった英武。維新後は代官所が韮山県に移行するとそのまま知…

高杉晋作の名刺版写真

慶応2年に長崎の上野彦馬の写場で撮影された写真を複写して、明治に入ってから写真舗で売られたものの一枚だろう。 『幕末明治の人物と風景 ―萩博物館所蔵古写真集成(1)―』(萩博物館、2011年)を見てみると、同館が所蔵しているの高杉の写真の1枚にこの写真と…

第1回内国勧業博覧会集合写真

明治10年8月から上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会。その褒賞授与式に集まった内務官僚や関係者の集合写真。古くは勝田孫彌の『大久保利通伝』の下巻に掲載されていて有名な写真である。 2015年に国立歴史民俗博物館で開催された「大久保利通とその時…

酒井玄蕃 晩年の写真

その容姿を大山格之助に「容貌のかくも温和で婦人にも見まほしい美少年であろうとは…」と称された酒井玄蕃。 酒井玄蕃の写真についてはかつて2回ほど記事にしたことがある。 酒井玄蕃の写真 - 幕末 本と写真 酒井玄蕃の写真 その2 - 幕末 本と写真今回は酒井…

土方久元に間違われた土方歳三の肖像写真

土方歳三の肖像写真が明治初期にいわゆるお土産写真として土佐藩の土方久元と間違われて販売されていたという話がある。 子母澤寛が『新選組遺聞』(萬里閣書房、1929年)の巻頭口絵の土方の肖像写真の説明文で以下のように書いていることがネタ元と考えられる…

清河八郎の生家

清河八郎は現山形県東田川郡庄内町清川の出身。大庄屋格斎藤家の長男として生まれた。酒造業も営む斎藤家は大変裕福な家であった。その斎藤家の写真(明治後期ころ)を本やネットで見たことがある方も多いだろう。 たとえばこちらのサイトで見ることができる。…

近藤勇の絵葉書

昭和2年11月13日、開校したばかりの関東中学校は武道大会とともに近藤勇慰霊祭を挙行する。記念の絵葉書が発行されている。近藤勇の肖像(微妙な感じのもの)と関東中学の校舎、そしてタトウ(絵葉書の袋)である。 関東中学校はいまの聖徳学園高校のこと。…

榎本艦隊をとらえた唯一の写真

「榎本艦隊をとらえた唯一の写真」とされるものがある。品川沖脱出直前、慶応四年八月十八日の歴史的な写真だという。刊本での初出は『別冊歴史読本ビジュアル版 イラストでみる箱館戦争』(新人物往来社、昭和63年)ということになるだろう。巻頭に戸高一成…

沖田総司まぼろしの写真

昭和50年ごろ、沖田総司の肖像写真が発見されたと一部新選組ファンの間で騒ぎが起こったという。その写真とは如何なるものだったのだろう?結論からいえば沖田の写真などは発見されなかった。訛伝による間違いであった。どういうことか。まずはウィキペディ…

鶴ヶ城の古写真

会津鶴ヶ城の天守を西面から見た古写真。名刺判の鶏卵写真。明治初年にお土産ものとして写真舗で販売されたものだろう。おなじみのカットである。

松平権十郎親懐の写真

文久3年、幕府は江戸市中の治安警察強化のために庄内藩はじめ13藩に市中巡邏を命じた。庄内藩では若き中老・松平権十郎親懐をその総指揮者とし付属の新徴組をもって治安護持に当たらせた。 松平権十郎の勇名は江戸市中に轟き、河原崎権十郎(九代目團十郎)と…

金玉チン右衛門こと大久保一蔵

『維新長崎』は長崎市教育會から昭和16年に出た本。維新期の長崎を平易な文体で描いている。平山蘆江が装幀しており雰囲気のあるルックになっている。 さて、その本の中に大久保利通に関する面白い話が出てくる。大久保は自らを男性の陰部に擬えた名前「金玉…

『元治甲子 禁門事變實歴談 附木戸氏之行動』

【元治甲子 禁門事變實歴談 附木戸氏之行動 洋一冊 馬屋原二郎演述 元治元年禁門事變の實況を、當時の戦闘に參加して、九死に一生を得たる後の貴族院議員馬屋原二郎(小倉衞門介)が、自己の見聞並に木戸孝允の手記書翰共他先輩諸士の談話實録等に據りて、演述…

原市之進『尚不愧齋存稿』

原市之進の遺稿集『尚不愧齋存稿』。 この本については高梨光司の解説(『維新史籍解題』)が簡潔にして明瞭なので引用させてもらおう。 【『尚不愧齋存稿』和四冊 線引泰編 水戸藩士にして、徳川慶喜の左右に侍し、その帷幄の概機に參せる原市之進(名忠敬、後…

『推轂集』

牧頼元は庄内藩士牧半右衛門の長男として弘化元年鶴岡に生まれた。到道館に学ぶ。明治8年に新潟師範学校に入学。卒業後は庄内の小学校訓導・校長に奉職。晩年は東京に出て日下部鳴鶴、芳賀剛太郎らと風交を結ぶ。書家として名があった。明治44年4月30日、68…

生駒親敬

出羽矢島藩主 生駒親敬の名刺判鶏卵写真。 この人の写真は単独で写ったものが馴染みがあるかもしれない。「最後の藩主」を特集したようなムック本でよく紹介されている。下膨れの顔がチャーミングな人。 こちらの写真は家臣二人を前に座らせて真ん中に立って…

酒井玄蕃研究誌『冬青』について

酒井玄蕃研究家の坂本守正は『酒井玄蕃の明治』稿了後すぐ、玄蕃の戊辰までの前半生の研究に着手する。そして昭和57年玄蕃の伝記研究のための会員制の個人誌『冬青』を創刊する。玄蕃自筆文書の解読を誌上に連載して読者の批判訂正を乞うとともに、新史料の…

『酒井玄蕃の明治』坂本守正の著作

幕末維新の庄内藩および酒井玄蕃の研究家だった坂本守正。その著作で私が持っているのは『酒井玄蕃の明治』『戊辰東北戦争』『出羽松山藩の戊辰戦争』『七星旗の征くところ−庄内藩戊辰の役−』の4冊である。この中でもっとも一般的なのは『戊辰東北戦争』(新…

安藤惟親『切山椒 九十三年の思い出』

安藤惟親『切山椒 九十三年の思い出』(萬葉堂出版、昭和58年)荘内館は本郷元町にあった荘内出身者のための東京の学生寮であった。 安藤惟親は明治43年に荘内中学を卒業すると上京、東京高等工業学校に学んだ。荘内館に寄宿した。 この人はスペンサー銃で装…

蝦夷共和国の面々の写真

「蝦夷共和国」の面々のおなじみの写真の複写である。 戦前の五稜郭で絵葉書代わりのお土産として売られていた写真ではないかと推測している。 榎本武揚の写真がないのは、なぜか榎本だけはサイズ違いの絵葉書大になっているため。そちらもいつか紹介してみ…

岡田盟のこと

文久三年の浪士組に参加し道中目付の役に就いていた岡田盟。 本庄宿で芹澤鴨の宿をとり忘れたためにその憤怒を買い篝火騒動を引き起こされてしまう人として名前を覚えらているかもしれない。 いかなる人物だったのか。岡田盟、新田郡大原の人。代々の医家で…