幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

鶴ヶ城本丸御殿の写真

会津若松の鶴ヶ城の古写真の中でも、天守と本丸御殿が写っているものがある。会津若松市教育委員会の所蔵写真で諸書に掲載されているが例えば『保存版 古写真で見る失われた城』(世界文化社、2000)で見ることができる。どの本も同じ画角での掲載なので、教…

龍馬の勝海舟への入門時期について

坂本龍馬は文久2年の秋に勝海舟もとに入門したという通説は、いまでは次のような理解になりつつある。(菊地明『クロニクル坂本龍馬33年』など) それでいいのだろうか。 文久2年12月5日に龍馬と間崎哲馬、近藤昶次郎は越前藩の常盤橋藩邸に松平春嶽を訪ね…

佐賀藩士 亀川新八

佐賀藩は三重津海軍所が設置されるなど薩摩と並ぶ海軍藩として知られる。そんな佐賀出身でありながら陸軍に進み佐賀人初の陸軍大将になったのが宇都宮太郎である。 宇都宮太郎は文久元年に佐賀藩士亀川新八貞一の長男として生まれた。父の死による御家断絶に…

小栗上野介を恐れた大村益次郎のあの話は本当か

鳥羽伏見での敗れ江戸に逃げ帰った慶喜に対して、小栗上野介は徹底抗戦を主張したという。 小栗には策があり、それは「新政府軍が箱根関内に入ったところを陸軍で迎撃、そこに幕府海軍を駿河湾に突入させて後続部隊を艦砲射撃で足止めし、箱根の敵軍を孤立化…

お龍がもっていた龍馬の写真

明治三十二年十一月『土陽新聞』に「千里の駒後日譚拾遺」と題して連載された川田雪山(瑞穂)によるお龍への聞書があるのはご存じの方も多いだろう。当時お龍が所蔵していた坂本龍馬の肖像写真に関する証言が含まれる。 その部分を抜き出してみよう。 ◎龍馬の…

大久保一蔵の小便で顔を洗え!

北埼玉郡長などを勤めた林有章の喜寿を記念して発刊された『幽嶂閑話』(非売品、昭和10)は林の自叙および回顧録であるとともに熊谷の郷土史誌として優れた一冊である。昭和55年には国書刊行会から『熊谷史話』と改題して復刻されている。 明治10年、旧島原…

三宅友信

三宅友信の肖像写真を絵葉書にしたものを入手した。 明治2年の撮影の肖像だという。敷物は初めて見るもので、セットから写真師が誰かを類推することができない。 三宅友信 「名は鋼蔵、毅齋と号す。三河国田原藩主十一代康友侯の第四子にして封を受くべくし…

若き日の馬場辰猪

長崎でフルベッキに学んでいたころの若き馬場辰猪。左から二人目だ。 上野彦馬の写場。馬場は土佐人だから撮影したのは井上俊三かな。 『明治名著集』〈太陽, 臨時増刊第13巻第9号〉(博文館, 明治40年) の口絵写真。この写真だけが目当てで買ってしまった。

勝海舟写真についての新聞記事

以前古本屋で買った楫東正彦『海舟言行録』(光融社、明治40)という本に新聞の切り抜きが貼り付けてあるのに気が付いた。裏面は「ローマ五輪日本はどこまでやれるか」という記事になっているので、その時代(1960年くらい)の新聞記事なのだろう。 石黒コレクシ…

沖田総司と滝沢馬琴をつなぐ一族

釣洋一先生のご研究によって、いま私たちは「滝沢馬琴と沖田総司は親戚」という歴史の不思議な縁を知ることができる。このことは新選組に少なからず興味をもつ私などにとっては大いなるよろこびだ。 先年、その滝沢馬琴と沖田総司を系図上につなぐ一族、真中…

子母澤寛の祖父は幕臣だったのだろうか?

子母澤寛の祖父というのは微禄の御家人であり、上野彰義隊に参加し、敗れたのち箱館でも戦い降伏。士籍を返還して札幌近郊の開墾を経て厚田村に流れ着いて網元や貸座敷業や旅館業を営み、土地の顔役として生涯を終えたという。 この祖父に盲愛にも似た可愛い…

石黒敬七『蚤の市』『巴里雀』

私は古写真をぽつぽつ蒐めている。その貧弱なコレクションを開陳するのは恥ずかしくて大いに躊躇われるのだが、それでも勇気を振り絞ってこのウェブログでも所有する古写真を紹介することもある。 古写真コレクターの大先達、巨星たる石黒敬七。その万分の一…

明治40年8月5日の報知新聞「近藤勇」

キリスト教の伝道者で明治女学校の創立者で校長、また小諸義塾を開設した木村熊二は明治教育史、文学史上に語られる人である。 しかし私にとってはこの人は幕末維新史の人である。 木村熊二は但馬出石藩の儒官の子として生まれ昌平黌に学び幕臣の家に養子と…

新選組 成合清の叔父さん

日光街道旧粕壁宿(春日部)の東陽寺に旧桑名藩士 浅野蕉斎の記念碑が建っています。 文政7年に桑名で生まれた浅野は、藩の御側役や勘定頭も勤めた優秀な藩士でした。藩主が京都所司代となり藩内多事を極める中、会計の任にあたりよくその職に尽くしたといいま…

三世 柳亭種彦の佐幕

「明治最初の文壇小説家」といわれる三世柳亭種彦こと高畠藍泉はイケメンというよりもハンサムという言葉が似合う容姿だ。 「種彦氏は写真にも見える通り痩ぎすな苦味走つた風貌、性質は稍や神経質の勝つた人であつた。稍や強情な処もあつたが友情に厚く世話…

『小伝乙骨家の歴史』『明治の兄弟』

ブックオフで購った古本2冊。 永井菊枝『小伝乙骨家の歴史 ー江戸から明治へ』(フィリア、2006) 右の本は幕臣・乙骨家について。甲府徽典館学頭の乙骨耐軒から、その子で幕末の英学者乙骨太郎乙、さらにその子で童謡「はとぽっぽ」「汽車」「浦島太郎」の…

原田左之助は龍馬と別府温泉に入ったのか

明治17年の11月の『東京自由新聞』第735号の雑報に「二宮新吉傳一夜説」という記事が載った。伊予宇和島の志士二宮新吉(呉石)の事歴に関する投稿記事で、投稿したのは二宮新吉を知る東京麻布に住む青木知友と名乗る人物。 この記事に興味深いことが書かれ…

蛭川一の顕彰碑

伊東成郎さんがお書きになったものに「新選組金談一件」(『三井文庫論叢』)という史料の紹介があります。その史料によると土方歳三は「室賀美作守様御用人之次男之由」と書かれているそうです。土方が旗本・室賀美作守の用人の子供だったという事実はない筈…

福永恭助『 海将荒井郁之助』

以前購った古本を3冊紹介してみます。 まずは真ん中。 福永恭助『 海将荒井郁之助』(森北書店、昭和18) この伝記は書き手に人を得なかったようであくまで読み物風。通俗小説的な文体の上に事実関係にアラが目立つ。福永はモダニズム雑誌『新青年』に寄稿し…

高知県士族 岩田正彦

昭和2年発行の福島成行『征韓論餘聞 赤坂喰違事変』という本から。 明治7年1月、赤坂喰違坂で岩倉具視の暗殺を企て襲撃した九人の中の一人、高知県士族 岩田正彦。斬首となった。

孝明天皇の等身大人形

前回の投稿に続いて『五十年の夢 柳昇遺稿』(非売品、大正8年)からまた幕末の等身大人形に関する逸聞を。 孝明天皇が自身の等身大人形を作らせると、その人形の「業」にて俄かに病気になり、ついには崩御あらせられたいう噂。人形霊の話。 「十二月に入りて…

ダッチワイフと徳川慶喜

幕末に朝廷の図書寮史生だった舟木宗治(号柳昇)はあまりに小禄だったため副業として宮中、宮家、門跡、堂上方に出入りして御手道具、袋物、小間物、玩弄具などを調達することも生業もしていた。舟木は生来の記録魔でもあったためその立場を活かして自らの…

砲術家としての藤堂平助

新選組の藤堂平助は撃剣家の他にも砲術家としての一面があった人である。このことはもっと世に知られるべきことではないか。 池田屋事件の働きで褒賞を受けた藤堂平助は元治元年8月には江戸に下り、以後しばらく江戸に在って隊士募集の役を担っていたとされ…

彰義隊士 水橋右京之亮の墓

埼玉県深谷市畠山にある満福寺というお寺は、畠山重忠が寿永3年(1184)に再興したという由緒ある真言宗の古刹です。そのお寺に慶応四年五月二十九日にこの地で没した彰義隊士水橋右京之亮の墓があります。 水橋は「此士上野及飯能に敗れ、顔振峠竹澤臺福寺…

甘利源治の墓

中村彰彦の短編小説に「甘利源治の潜入」という作品がある。 韮山の農兵だった原宗四郎という男が会津藩に密偵として仕えて甘利源治と名乗り、幕府への挑発のために浪士を集めて御用盗騒ぎを起こし江戸市中を撹乱していた薩摩藩江戸藩邸に潜入し、その策謀と…

長身でロン毛のメガネ男子 陸奥宗光

西南戦争に乗じて政府転覆を謀った立志社事件に関与した陸奥宗光は、禁獄5年の刑に処せられ山形監獄、続いて宮城監獄に投獄される。 明治16年赦免。 出獄し東京に帰る前に記念写真を撮った。 左から二人目。長身、ロン毛。メガネ男子の陸奥宗光である。 宇…

山田顕義

明治4年、米欧を歴訪する岩倉使節団の中に少年みたいな人物が加わっているのを見つけて欧州人は驚いたそうだ。 山田顕義のことである。 「顕義、時に歳未だ三十に満たず、矮小にして白皙無髭なり、欧人、皆怪み問ふて曰く 日本には少年の将官あるやと。」

ヒゲを生やした土方歳三⁈

箱館では実はヒゲを生やしていた土方歳三⁈ 『大日本名家肖像集」(経済雑誌社、明治40年)が掲載するものだ。 いやいや、川村録四郎の別バージョンの写真だろうて。※追記好川之範『土方歳三最後の戦い 北海道199日』(北海道新聞社、2014)もこのヒゲ土方を…

有馬藤太の写真

流山で近藤勇を降伏させ、その助命を訴えていた薩摩藩士 有馬藤太(真ん中の人物) 晩年の立派なヒゲの写真(『維新史の片鱗』)は知られているかと思います。こちらはそれよりもだいぶ若い時の写真。 両サイドは左が今泉利春(佐賀藩)、右は近江西郷と言わ…

箱館戦争の史料覆刻本

市立函館図書館蔵郷土資料複製叢書という函館市立図書館発行の函館の郷土資料の叢書がある。 その内の27巻『一年乃夢/蝦夷土産』、28巻『峠下ヨリ戦争之記』、31巻『麦叢録』は箱館戦争に関わる史料の覆刻本になっている。 この叢書には他にどんな書目があ…