幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

大鳥圭介と大砲の写真

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実写奠都五十年史』(同刊行会、大正8)より

 

大鳥圭介・篠原太郎・安達敬三郎とが大砲と一緒に写っている写真がある。ウィキペディアの大鳥の項で見られる写真、というか『写された幕末 人物篇』(アソカ書房、昭和37)に載っている写真なのだが、もともとはこの『実写奠都五十年史』(同刊行会、大正8)に掲載された写真である。『写された幕末 人物編』に載っている写真はその複写なのでシャープさに欠けていて本当に大鳥かどうかいま一つ信がおけなかったのだが、元ネタのこちらで見るとちゃんと大鳥の顔だった。これで安心。

 

 この本だとキャプションの書き方で箱館戦争時に撮られた写真のように勘違いしそうなのだが、そうではなくて「函館戦争五稜郭の戦」という括りで編者が五稜郭と参戦者だった大鳥の写真をチョイスしただけだろう。

 

大鳥といえばジョン万次郎の撮影した裃姿の美青年然とした肖像(『旧幕府』第9号)が有名である。でも維新後にヒゲを蓄え始めると大鳥ってなんだか途端に親父っぽくなってしまうのだ。不思議な風貌である。この写真の大鳥は裃姿の美青年時代に繋がるような顔立ちだ。

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ではこの写真は何時ごろ撮影されたものなのだろうか。

 

大砲が写っていることから考えて、大鳥が芝新銭座の江川塾で砲術を教授していたくらいの時があやしい。そこで篠原・安達の二人の人物に注目してみると、やはり江川塾の塾生だった。共に加納藩家臣。江川家砲術指南の門人録「御塾簿」によると文久4年4月入門、慶応2年9月免許の永井肥前守家来・篠原太郎の名前を見つけることができる。安達敬三郎の方はやや面倒で、慶応3年(文久3年の誤記か)4月入門の永井肥前守家来・安達教三郎と、慶応3年1月に免許を受けた永井肥前守家来・安達牧三郎の名前を見つけることができる。安達は本当の名前がどれなのか分からないけれどおそらく敬三郎も教三郎も牧三郎も同一人物を示しているのだろう。私なりに読み解くと、安達の入門はおそらく文久3年4月でその際の教程では免許を得られなかったため、慶応2年に再入塾し翌3年1月に免許を得たとものと推定される。

 

実はこの写真に大変よく似たものがもう1枚ある。田中隆二『幕末・明治期の日仏交流-中国地方・四国地方篇(一)松江-』(渓水社、平成11)P.171にのっている松江藩士・瀧野多三郎の写真なのだが、これが瀧野が大砲と一緒に写っている写真で、背景の建物の近似などから考えても大鳥の写真となんらかの関連があるのは疑えない。おそらく同時期に撮影されたものだろう。同書でも触れられているが、瀧野は江川塾で砲術を学んでいるのだ。元治2年3月入塾で慶応2年8月に免許を受けた松平出羽守家来・瀧野多三郎は「御塾簿」にもその名を残している。

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篠田・安達・瀧野の3者の入塾期間から考えるに、この写真は元治2年(慶応元年)3月から慶応2年8月までの間に芝新銭座の江川塾で撮影されたものと推定する。撮影したのは江川塾との関係から考えるにジョン万次郎だろうか。