幕末 本と写真

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土方歳三を「斗筲の小人」と評した遠藤文七郎

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奥羽越列藩同盟の諸藩が次々に新政府軍に恭順する中で、同盟の盟主だった仙台藩も明治元年9月10日の評定において主戦派が斥けられ、遂に藩論は降伏へと変化することとなった。この事態を憂慮した榎本武揚は、12日に土方歳三を伴って仙台城に登城し抗戦を続けるよう説得を試みる。その際の仙台藩側の交渉相手となったのが藩内勤王派で執政となっていた遠藤文七郎だった。

榎本は遠藤に「いやしくも武士の道を解し、聖人の教えを知るものは、彼れ薩長の徒にくみすべからずと信ず」と主戦論を唱えたが、すでに恭順に傾いた仙台藩にとっては榎本達の存在は迷惑なものでしかなかった。遠藤が榎本、土方を評して「榎本、膽気愛すべし。しかれども順逆を知らず。維新の皇業に大害を与えん。土方に至りては斗筲(としょう)の小人、論ずるに足らず」と評したことはよく知られていることだろう。土方は度量のない小さい男であると酷評されたのだ。

その遠藤文七郎はどんな容姿だったか。遠藤の伝記『遠藤允信翁勤王事蹟』(栗原郡教育会、1923年)に肖像が掲載されている。その容貌は面長で鼻高く、目涼しく、身長5尺8寸余、言語明快、気品高く風格があったそうだ。