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彰義隊士 水橋右京之亮の墓

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埼玉県深谷市畠山にある満福寺というお寺は、畠山重忠が寿永3年(1184)に再興したという由緒ある真言宗の古刹です。そのお寺に慶応四年五月二十九日にこの地で没した彰義隊士水橋右京之亮の墓があります。

 

水橋は「此士上野及飯能に敗れ、顔振峠竹澤臺福寺を経て、当院に来り、官軍の為に本堂裏にて卒す、此地に埋葬」されたというような人物です。目撃者の談によると骨格偉大威風堂々たる立派な風格を備えていた武士だったといいます。

 

飯能戦争に敗れた振武軍の水橋右京之亮はなんとかこの満福寺まで逃れてくると、住職に匿われ本堂裏の雑木小屋に潜みました。しかし早々官軍の一隊の追撃にあってしまいます。官軍は容赦なく雑木小屋に銃弾を浴びせ、堪らず小屋から出てきた水橋は腹を一文字にかき切って自刃したそうです。 

官軍はその首を討ち、松山の陣屋(東松山にあった前橋藩の陣屋)に晒しました。 後に住職は首をもらい受けると、胴体と共に懇ろに葬り、一碑を建立し菩提を弔ったということです。

 

参考/酒井天外「彰義隊水橋右京亮」(『埼玉史談』第9巻第1号)