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新選組 成合清の叔父さん

 

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日光街道旧粕壁宿(春日部)の東陽寺に旧桑名藩士 浅野蕉斎の記念碑が建っています。 

 

文政7年に桑名で生まれた浅野は、藩の御側役や勘定頭も勤めた優秀な藩士でした。藩主が京都所司代となり藩内多事を極める中、会計の任にあたりよくその職に尽くしたといいます。

維新後は東京府に出仕、また旧主家の家令や家扶頭となります。 

晩年に春日部へ移り粕壁中学校の教諭となります。退職後も春日部に留まり近隣の子弟を相手に私塾を開きました。

明治22年に68歳で亡くなっています。碑は門人らによってその2年後建てられたものです。 

 

さて、私はこの人を新選組の成合清の叔父さんではないかと考えています。

 

桑名藩士の成合清(常久)は箱館戦争の際に新選組に所属した入隊時期の最後の方の隊士です。 

 

浅野蕉斎は成合又太夫の四男として生まれ浅野家に養子にいきましたが、その実父の名前は成合清の祖父の名前と同じです。

さらに成合が明治9年に妹に宛てた書簡の中に「浅野御叔父様」という記述があり、叔父さんに浅野という人物がいたことは確実です。

これらのことからこの記念碑の浅野蕉斎が成合清の叔父さんに間違いないだろうと思っています。

 

東陽寺ではあいにく住職がご不在で住職夫人にしか話を聞けませんでした。

記念碑はあるもののお墓そのものは東陽寺には無いとのことでした。なので浅野の後裔の存在を知ることは出来ませんでした。