岩瀬忠震には写真が残っている。
英国にあるヴィクトリア&アルバート博物館所蔵のものだ。安政5年、日英修好通商条約交渉の英国側の使節エルギン卿の秘書であったウィリアム・ナッサウ・ジョスリンが撮影した幕府側交渉委員7人の中にその姿が収まっている。しかし後列左の岩瀬は撮影中に動いしまったためか、ぼんやりとブレて写ってしまっている。残念ながら写真からはその白皙の美男子ぶりを伺うことができない。その顔を思い浮かべるには土屋禿木が描いたお馴染みの肖像画をよすがにするしかない。
〈岩瀬肥後守
目付として、外国奉行として評判ありし人なり。眉のかかり目のあたり立派にして色白の顔、りりしきところあり。義経様といふ諢名負ひたまへりとかや。挙動やや軽くして今の所謂才子肌ともいふべし。高聲のハキハキしてる物言ひにて、人先に発言し、よく自らも笑ひ人をも笑はしめ、面白からぬ談話中にも茶利を交へ警語を放ち、時には人を呑んでかかりて、嘲弄するとまでにはあらねどやや其気味あることあり。中々才ある人と見えたり。〉