幕末 本と写真

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龍馬暗殺メモ その1

「たとえば高台寺党説」

平戸藩出身で島根、新潟、滋賀の県知事や元老院議官、貴族院議員を務めた籠手田安定は「牧民偉績」(未刊)という自伝を残している。
籠手田が生前友人の北川舜治に自記を託し北川が整理執筆したものだ。
その中から籠手田が慶応3年に国事探索方として京都に上った際の自伝部分「慶応三年冬京都二上リ国事探索ノ事」の一部を抜き出してみる。
慶応3年11月坂本龍馬の暗殺に関する興味深い伝聞が記されている。

籠手田が聞くところの龍馬暗殺犯は、事件当時お決まりだった松山藩を脱藩した新選組隊士説、いわゆる原田左之助説がベースになっているものなのだが、単にそれだけでなく一捻りが加えられている点で面白い。どうコンガラがったのか龍馬を襲った松山藩の脱藩士は高台寺党伊東甲子太郎斎藤一藤堂平助三木三郎の四人だというのだ。

【十四日 京都藩邸二着ス 田村文右衛門至り時事ヲ談ス 熊沢松山二氏亦来ル

十五日 紀州侯上書アリ徳川公大二怒り三浦久太郎ヲ罪セントス 若年寄永井玄蕃之ヲ止ム 土州藩ハ紀州二至り議論セント云フ由
此夕中山家園家二参候ス 是時二当り京師所々ニ伊勢大神宮ノ神符ノ降ルトテ其神符ノ降タル家ニハ門ロニ竹ヲ植テ縄ヲ張り神符ヲ祭ル 近所ノ男女老若ハ美麗ナル衣服ヲ着ケ奔波雑沓シテ「ヨイヤナイカゝゝ」ト呼廻り踊り行クモノ街上夥シ 是ハ乱世ノ兆カト思フ 尤モ前月ヨリ此ノ如ク町奉行之ヲ止ムルモ聞人レス 此踊ハ京外ノ在村ニモ及ヒ大坂伏見大津ナトニモアリ 人心狂ノ如ク浮キ立チクル様ハ如何ナル訳カ所謂人妖トハ此ナラン
是ヨリ後ハ公務外出ノ外ハ邸内二止宿シ四書小学大極図説西銘敬斎箴白鹿洞書院掲示ヲ研究シ其学力ヲ養成ス

十六日 夜土州ノ坂本龍馬暗殺セラルト聞ク 此ハ松山ノ浪人ニテ新選組ニアルカ脱走シテ山陵衛士ヲ勤ムル伊東甲子太郎斎藤一藤堂平助三樹三郎ノ四士ノ所為ナリ 二十四日二七条油小路二殺サル

当節復古ノ論ハ公卿ニモ其議一定セス 必竟自分ノ私心ヨリ起ルナリ 復古シテ人材登用トナレハ摂家モ権ヲ失ヒ清華モ家二依ラス故二或ハ云フ摂家中ニハ薩州ヲ疎ンセラレ藤堂藩ヲ近ツケラルヽ卜云フ風説アリ
玉山講義垂加業書仁説朱子行状ヲ購入シテ研究ス】

出典(鉅鹿敏子『史料県令籠手田安定』丸ノ内出版、1985)

十六日の条に注目して欲しい。籠手田は犯人は松山藩の浪人にして御陵衛士高台寺党)の面々という伝聞を得ている。

龍馬暗殺の黒幕をあれこれ考える人が多い。
そんな中で暗殺の薩摩藩黒幕説を唱える人もいる。例えば大浦章郎という作家は実行犯は高台寺党で黒幕は大久保という説を唱えて本にしている。(『徹底推理 龍馬暗殺の真相』新人物往来社、1991)
もとより雑な珍説でトンデモ本の類だ。しかしネット界隈でもこの説を書く人がいたりする。かりそめにもそのような珍説を唱えるなら、その傍証にこの籠手田の自伝を使うくらいはしてもいいのではないか。

もちろん半笑いで言っているのだけど。

大久保や西郷が黒幕で高台寺党が実行犯だというエンターテイメント小説を成立させるのに少しだけ味付けができると思う。