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知られざる安政五年の坂本龍馬

愛知県岡崎市にある三河武士のやかた家康館という郷土資料館が発行している図録『岡崎藩長尾家と西洋砲術』 に安政五年の龍馬の動向が分かる史料(岡崎藩の西洋砲術家長尾錬次郎興寧の日記「萬代記」)が翻刻されています。

そこには江戸での神道無念流の剣術修行を終えた長尾錬次郎が、桃井春蔵門下の3人と武者修行を兼ねながら、東海道を帰国していくことが書かれています。その仲間の一人が坂本龍馬なのです。
龍馬をあつかう書籍、たとえば龍馬の行動を日録で追う『坂本龍馬日記』にも言及がないので、あまり知られることが無い事柄ではないかと思います。

【一、安政五年最早修行出入三年越シニも相成候間、ひとまづ帰国有之候様父上様より被仰越候二付師匠江暇願候処ヽ弥九郎頻二御留メ候て暫く修行可致旨強而相止メ候得共、父上より之御命二候得者無是非とて背其意、弥帰国之心組罷在伏事
前日弥九郎先生同門弟共江暇をつげ、落涙を払ひ相別れ、御上屋敷ヘ一宿いたし、翌十三日出立
桃井春蔵門人 中川修理太夫様御家来
          村上武蔵
        松平土佐守様御家来
          坂本龍馬
          佐藤新五郎
斎藤弥九郎門人   長尾銖連冶
右四人連れ軽尻壱疋相立、道中修行なから帰国之積り、十三日四人共目出度江戸表出立、小田原・沼津・駿府・浜松等申込候処各断りニ而、藤枝田中城主松平伯耆守様二已稽古致候事
右藩中古風流義二而竹刀至而短く上段斗り之処、当方者小分竹刀長く突キ易ク候得者四人共突キをおもニ致し候処、先方竹明凡十斗突キ折損し候事、稽古相済師範宅二而洒肴馳走二相成、翌日同所出立
同廿四日目出度帰国致候事
但シ欠村之辺迄皆々迎ひニ相見、無滞タ八ツ時頃帰宅之事
帰国之旨届ヶ貰、前宿ハ吉田宿り之事】

なおここで注目なのは龍馬が桃井春蔵門下と読めることです。北辰一刀流の剣客だった龍馬を長尾は誤認していたのでしょうか。あるいは桶町千葉とダブルスクール鏡新明智流の修行をしていた可能性も考えられるかもしれません。この件は後考を待ちたいです。

前に記事(龍馬と酒)にしましたが、龍馬は荒井郁之助の塾に学んでいたことがあったりとまだ一般的には知られざる事歴も少なくないのです。