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幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

明治2年横浜、木戸孝允の写真

幕末のイケメン 古写真

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木戸孝允はその生涯で数多くの肖像写真を残している。

自らの容貌に自信があったため写真を残すことを好んだのだろうか。だとしたら、ややナルシスティックな人物像を感じる。


木戸家の後裔に伝わった「旧侯爵木戸家資料」は国立歴史民俗博物館に寄贈され、そのうちの写真資料は2011年に「侯爵家のアルバム ー孝允から幸一にいたる木戸家写真資料ー」という企画展示で一般に公開された。当時私も佐倉まで展示を見に行った。東日本大震災のあとのことで佐倉の街の建物にも地震の被害が残っていた。千葉県の佐倉市あたりもだいぶ揺れのだなぁと思った。
 
展示は素晴らしいものだった。陶然とすらなった。展示プロジェクトの代表を務めた樋口雄彦氏の仕事ぶりが遺憾なく発揮されていて、幕末維新をテーマとした資料展示のうちでも展覧会史上に残るような出色の出来であったのではないだろうか。樋口氏の圧倒的な仕事にただただ瞠目した。(世の中の幕末維新好きは樋口氏のお仕事に魅了されている人は少なくない筈だ。もちろん私も樋口ファンの一人で、氏が沼津市明治史料館に在籍していた時から同館発行の図録や紀要、史料館通信を集めては氏の仕事を追ってきた)
 
歴博での展示では図録も発行された。これまた内容の最高すぎる一冊になっている。写真の収録点数、解説、コラム記事等々は木戸孝允好きはもちろんのこと、樋口マニアにもたまらなく満足する一冊となっている。私は読む用、保存用、もしものため用の計3冊を売店で買い求めた。
 
歴博の展示は木戸家に伝わり歴博に寄贈された所蔵品だけで構成されていたため、有名な木戸の肖像写真でありながら展示もなく図録にも掲載されていないものというのが何点かある。
例えば、先日このウェブログでアメリカ彦蔵の自伝を紹介したときに図版の木戸の写真をご覧いただいたが、あの上野彦馬の写場で撮られた有名な写真も木戸家には遺されていなかったのか歴博にはない。
もう一つ、明治2年横浜馬車道の内田九一の写真館で撮られた写真も歴博にはない。木戸の肖像の中でも(最近は)もっとも有名な写真といってよく、諸書に掲載されているあの写真のことだ。同じ背景の欄干(敷物は違う柄)で伊藤博文井上馨大隈重信の写真もあるとやつだといえばたちまちご理解いただけるだろう。港区郷土資料館の井関盛艮旧蔵コレクションの中の写真である。日本カメラ博物館やシーボルト記念館にも同じカットの写真が所蔵されている。さらには先日、ヤフーオークションで同カットの名刺版写真が出品されていて、30万円以上という高額で落札されていた。
 
横浜馬車道の内田九一の写場は、背景に配置された細い欄干、敷物の柄という特徴によってその撮影場所を特定することができる。そして木戸は日記を残しているため、明治2年に横浜の内田九一のところで何回か写真を撮っていることも分かっているので、写真と日記の照合を試みることができるのだ。
 
木戸孝允日記』には明治2年横浜での写真に関わる記述は以下の条々である。
 
5月28日「二字前去て写真司九市の店に至り各相写す」
 
11月9日「九市写真店に至り正二郎并に従随のもの等と写真を試む」
 
11月11日「朝晴写真店に至る」
 
12月18日「晴朝正木等来る共に写真に至る」
 
さて、前置きがすごく長くなったが、今回の投稿では木戸の有名な写真と同じ横浜馬車道の内田九一の写場で撮られた写真を紹介したい。こちらは世間的にはマイナーな木戸の写真になる。見たことがないという人も多いのでないだろうか。上述の歴博の展示や図録には見られないもので木戸家に伝来しなかった一枚ということにもなる。
出典は『みつこしタイムス』第8巻12号(三越呉服店、明治43年)。
 明治43年に三越呉服店の写真部が開催した古写真の展覧会「時代参考陳列写真」に出展された写真を紹介したページに載るものである。所蔵者は明治の写真師北庭筑波の息子の伊井蓉峰である。
(ちなみに私が『みつこしタイムス』のこの号を入手したいと思ったきっかけも樋口雄彦氏の書いたものを追っていく中で得たものだ。「写真史のなかの静岡藩と沼津兵学校」『沼津市博物館紀要』32号、『幕臣たちは明治をどう生きたか』を読んでのこと)
 
少年と一緒に写っているこの写真はおそらく11月9日の日記に書かれた(「正二郎并に従随のもの等と写真を試む」)写真ということになろう。少年は木戸の甥で養子となった正二郎で間違いなさそうだ。木戸はこの正二郎やその兄の来島彦太郎(のちの木戸孝正)とよく写真を撮っている。子供とのツーショットが多いのが木戸の写真の特徴でもある。
 
2日後の11日に「写真店に至る」とあるがこれはこの時の写真が出来上がったので取りにいったということかもしれない。
 
5月28日の日記の写真は『松菊木戸公伝』(明治書院、1927年)の口絵写真に掲載された「明治初年の木戸孝允公肖像」という写真になるだろうか。服装から考えて寒い時期のものではない筈だ。キャプションには「明治初年の撮影にして其右端に立てるは公なり」とある。
 
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木戸の写真のうち、内田九一の細い欄干のセットで撮られた写真は私が知るところ上述の3点である。
今回は木戸の肖像写真のうち、『みつこしタイムス』を入手したことから横浜馬車道の内田九一のところで撮られたものだけに限って紹介してみた。
 
最後に木戸の写真に関しての参考文献をあげておこう。
 
まずはなにより国立歴史民俗博物館の図録『伯爵家のアルバムー孝允から幸一にいたる木戸家写真資料ー』(国立歴史民俗博物館、2011年)を参照してほしい。現在、歴博ミュージアムショップで僅かながら入荷したようだ。買わない手はない。
 
『龍馬タイムズ』第117号(東京龍馬会、2016年夏号)には古写真研究家森重和雄氏の「幕末・明治初期に撮影された木戸孝允の写真について」という論考が載る。
 
ネット上では囂庵のホームページにかつては木戸の写真に関する項があった。非常に参考になるものだったが残念ながら現在は見ることができない。再アップをぜひぜひ期待したい。
 
また内田九一の写真スタジオの変遷に関しては石黒敬彰・森重和雄「内田九一写真鑑定術」(『日本写真芸術学会誌』第14巻1号、2005年)、高橋信一『古写真研究こぼれ話』(私家本、2013年)といったの研究の蓄積がある。