幕末 本と写真

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根岸信五郎と藤田五郎

埼玉県戸田市本町の多福院という寺院に高さ3.7メートルにもなる巨大な石碑「根岸先生之碑」があります。
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根岸信五郎資剛は長岡藩士神道無念流の錬兵館に学ぶ。慶応元年に免許皆伝を得て錬兵館の師範代となる。北越戦争では官軍との戦闘で重傷を負う。明治になって神道無念流の道統を継ぎ、六代宗家として有信館道場を神田西小川町に設立。

後に有信館は本郷真砂町に移転。
ある日、根岸の弟子の山本忠次郎が空き缶を吊って竹刀で突きの練習をしていると、通りかかった老人が「突きは難しいものよ」と話しかけるや竹刀をとり、一撃で缶を貫いた。缶は微動だにもしなかった。山本は師の根岸にこの老人の凄技を報告すると、「その人は藤田五郎先生だろう」と教えられたそうだ。
藤田五郎(斎藤一)は本郷真砂町30番に住み大正4年に71歳で亡くなっている。

根岸信五郎と藤田五郎のこの逸話を伝えるのは加藤隆義『ルックバックわらび』(蕨市相撲連盟、2012年)。ライトな書名に惑わされがちだが蕨市周辺地域のかなり本格的な武術史についての本である。

根岸信五郎は大正2年没、70歳。
養子とした高弟中山博道(根岸資信)は剣聖と称され高野佐三郎と共に近代剣道の祖とされている。

この石碑は港区愛宕の青松寺にあったものが、同寺の開発により撤去され、神道無念流十代目の嫡伝者小川武という人の縁で平成13年に埼玉の地に移設されたもの。