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酒井玄蕃研究誌『冬青』について

酒井玄蕃研究家の坂本守正は『酒井玄蕃の明治』稿了後すぐ、玄蕃の戊辰までの前半生の研究に着手する。そして昭和57年玄蕃の伝記研究のための会員制の個人誌『冬青』を創刊する。玄蕃自筆文書の解読を誌上に連載して読者の批判訂正を乞うとともに、新史料の発掘の呼び水にしたいとの意図のもとに発行された会誌であった。
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誌名の「冬青」は坂本の俳号から採ったもの。
題字を寄せたのは庄内藩最後の藩主酒井忠篤の孫にあたる酒井忠一。
発行元の冬青社は坂本のプライベートプレスになる。
商社マン(三菱商事)だった坂本は定年退職後の昭和54年香港で貿易業を自営。香港島の冬青道に面したビルの9階を住居としていた。そしてその書斎を「冬青山房」と名付けまた自らの俳号とした。日本に帰国後は埼玉に住むがその居宅の書斎も「冬青山房」の名前を継いだ。そこから会員に向けて酒井玄蕃の現在進行形の研究をプライベートプレスの小冊子にして毎月送り届けていた。当初は8ページ(後に10ページが主になる)で送料共一部200円(12号からは300円)。24号までは月刊で発行されていた。25号〜46号は年4回発行の季刊となったが、47号〜70号までは隔月の発行となる。値段は39号からは500円に値上げしている。
年会費があり、創刊当初は2000円。2年目に3000円に値上げしている。季刊に変わった3年目に1000円に値下げしたが、6年目からは2000円。9年目からは3000円になっている。

会員に名を連ねる人々は実に多彩である。名前を聞くと著作が思い浮かぶ人物が多い。藤沢周平、小山松勝一郎(清河八郎研究家、『清河八郎』『新徴組』)、山崎利盛(新整組山崎新兵衛子孫『庄内藩新整組』)、分部桃彦(新徴組分部実啓子孫、『英風記』)、釣洋一(私にとっては釣先生、『新選組再掘記』)、永井菊枝(幕臣乙骨太郎乙子孫、『小伝乙骨家の歴史』)、田中明(中根香亭研究家、『幕艦美加保丸宮永荘正伝』)、牧野登(幕末会津藩研究家、『紙碑・東京の中の会津』)、小島慶三(『北武戊辰小嶋楓処・永井蠖伸斎伝』)、島津隆子(作家、『 新選組密偵山崎烝 』)など。
また坂本の母校鶴岡中学の同窓生たちも名を連ねる。その多くは庄内藩士の子孫であるため庄内藩の史料探索に有力なアドバンテージを坂本に与えた。坂本は還暦以後に玄蕃研究を本格化したのたが、その際に鶴岡中学(前身は前々回のブログ記事で触れた荘内中学)卒業生の人脈をフル活用できた。旧藩地のような地方史研究をするのに旧藩校にルーツをもつ郷土の名門校の同窓人脈がいかに利点があるのかがよく分かる。逆にいえば在野の研究者の場合そういった人脈がないと研究にはなかなかに大きな障壁があるといえるかもしれない。現実的なことで、それを言ってしまうと元も子もないかもしれないが。

さて、その『冬青』私が所有しているのは創刊号(昭和57年)から70号(平成5年)までである。他に第4号の付録として『孤忠の志士 阿部千萬太』という別冊と、人名索引が2冊、1号〜24号までの分と1号〜39号までの分が出ている。各号にはパンチ穴が開いていてファイリング用の緑色の表紙を綴り紐で綴るような体裁になっている。
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私は『冬青』の書誌の全容を知り得ていない。なので所有している創刊号〜70号と別冊と表紙のそれが全揃いのフルセットなのかどうか分からないでいる。70号より先の続刊はあったのだろうか?とりあえず70号には終刊を示す文言はないので続刊があった可能性はありえる。どなたかその存在を知っている方がいらっしゃったらご教示願いたい。

坂本の創刊の辞を転載してみよう。
【故人の伝記を草するのは、永久に終りのない仕事なんだなとつくづく思わされます。遺存する一次史料の数は限られている上、後から史料が発見されると、その一点がすでに描いた人物像の全面的見直し修正を迫ることもあります。
次のシリーズ第三輯『酒井玄蕃の生涯・前篇』(仮題) に取組む段になっていよいよ痛感されるのは、歴史についてのどうしようもない基礎知識の貧困、それと、「明治維新をどう理解するか」という命題の途方もないムツカシさです。 「近現代日本をどうとらえるか」というのと、 ほとんど同義ですから。
一方、蹉鉈たる白頭翁のかなしさ、 のんびりしていればすぐもう日が暮れてしまいます。
そこで、読者参加によって史伝をまとめてゆくほかないと思い至りました。 一冊の書下しにして世に問う」前に、ますこの小誌一回分づつ、 一次史料(遺墨)の解読を中心とした小稿を提供し、その都度それへの批判、叱正を待つのです。その間に新史料の提示を忝うすることがあれば、 これ以上の幸せはありません。こか本誌発行の趣旨であります。
なおまた読者の研究・随想・批評・所感などで誌面を多彩にすることができるなら、どんなに嬉しいでしょう。
切に諸賢の惜みないご支援をお願い中上げます。
  昭和五十七年七月
              冬青山房主人 敬白】

誌面の核になったのは「酒井玄蕃の遺墨」という玄蕃が残した史料紹介とその翻訳の連載である。18回続いている。また玄蕃に関しては「玄蕃の逸話」や「酒井玄蕃松本十郎」という記事も連載されている。
そして25号(昭和59年)ではこのあと36号の発行までには『名将酒井玄蕃』(仮称)という玄蕃の伝記を刊行したいという目標を立てている。しかしこれは叶わず仕切り直しとなる。平成元年の第44号の巻頭、坂本はついに玄蕃の前半生の叙述を開始することを宣言する。次号から5~6ページの連載を12~13回分行ってそれを一冊の本としてまとめる。それをもって『冬青』は役割を終えて終刊とするいう目途を立てた。
しかし期待された玄蕃の前半生の連載(「酒井玄蕃の生涯」)はけっきょく6回どまりとなってしまった。元治元年江戸で天狗党の真田帆之助らを討果たした玄蕃は庄内に帰国、到道館に復学したところで、坂本は玄蕃の人格を描くために、玄蕃が受けた学問、庄内藩の藩学についての話に内容をシフトさせてしまう。「庄内藩学の形成と到道館の教育」という連載が17回分続く。『冬青』の終刊を確認できていないので、確かなことは言えないがここで玄蕃の前半生を描く試みは途絶してしまった。おそらくは「酒井玄蕃の生涯」は未完の連載になってしまっただろう。
なんとも惜しいことだ。坂本にはぜひ玄蕃伝をまとめて欲しかった。玄蕃は伝記の編まれるべき魅力的な人物である。なによりそのことを教えてくれたのは坂本でありその業績であった。玄蕃研究の第一人者の描く正伝を読んでみたかった。

代案がある。
『冬青』から玄蕃に関わる「酒井玄蕃の遺墨」「玄蕃の逸話」「酒井玄蕃松本十郎」「酒井玄蕃の生涯」などの連載やその他のこまかな記事を集めて一冊にまとめて出版することができれば、それは玄蕃の伝記として価値あるものになるのでないか。たとえ未定稿でも坂本の描く玄蕃伝を渇望する人は少なくない筈だ。あるいは現在では入手しにくくなっている『明治の酒井玄蕃』と一緒にしてそれを合本にして出版すれば、分量的にも玄蕃伝として見栄えのする一書になると思われる。どこかの書肆が実現してくれないだろうか。