幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

近藤勇の絵葉書

昭和2年11月13日、開校したばかりの関東中学校は武道大会とともに近藤勇慰霊祭を挙行する。記念の絵葉書が発行されている。近藤勇の肖像(微妙な感じのもの)と関東中学の校舎、そしてタトウ(絵葉書の袋)である。
f:id:oldbook:20200918234441j:plain
f:id:oldbook:20200918234603j:plain
f:id:oldbook:20200918234653j:plain
関東中学校はいまの聖徳学園高校のこと。武蔵境にある男女共学の中高一貫校Mr.Children桜井和寿の母校である。開校当時は男子校の旧制中学であった。
創立者は和田幽玄。聖徳太子の「和の御教え」を建学の精神とした。
関東中学は武蔵境に立地しており、近藤勇の生地である上石原村(調布市野水)と近かった。近藤の慰霊祭を和田が行ったのは単純に近所のよしみということだったのか。あるいは和田は特別に近藤や維新史に対して興味を抱いていたのだろうか。

近藤勇 関東中学」のワードでネット検索すると、永倉新八の生家ご子孫のブログがヒットする。慰霊祭の内容が分かるものになっている。該当の記事をお読みいただきたい。
昭和2年、関東中学校での近藤勇の供養祭! | 岡山新選組の新八参上のブログ

昭和2年、關東中学校での近藤勇供養祭(中) | 岡山新選組の新八参上のブログ
この慰霊祭には永倉新八の従兄長倉嘉一郎の子供の長倉正が参加していた。佐藤彦五郎資料館にはその時の長倉と和田幽玄の名刺が残されており、長倉のものには「昭和二年十一月十三日關東中学校ニテ面談ス 永倉新八の息(ママ) 銀行員」、和田幽玄の名刺には「昭和二年十一月十三日 近藤勇先生慰霊祭執行」とメモされているという。

絵葉書という体裁で近藤勇の肖像が残されているものは他に類例があるのだろうか。もしかしたらなかなかに希少なものかもしれないと思い今回紹介した次第である。