幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

北白川宮能久親王と清水谷公考や酒井忠篤たち


名刺判の鶏卵写真。明治6年か7年の撮影だろうと考えられる。留学先のベルリンで写された北白川宮能久親王を囲む公家・大名の子弟らの写真。

『海外における公家大名展』(霞会館、1980年)や『坊城俊章 日記・記録集成』(芙蓉書房出版、1998年)といった図録や本に、それぞれ北白川家と坊城家に伝わったものが紹介されている。鶴岡市の致道館博物館にもパネルで展示されていたものをだいぶ前に見た記憶がある。

どのような人々が写されているのかは『海外における公家大名展』に分かりやすい人物配置図が載っているので転載させてもらおう。
  

戊辰戦争彰義隊に奉ぜられ、奥羽越列藩同盟の盟主と仰がれた輪王寺宮は一年の京都での謹慎ののち明治3年に兄の小松宮彰仁親王の後を追って、プロシア(ドイツ)に軍学を修めに留学。留学中に北白川家を相続した。ドイツ陸軍大学を卒業し明治10年に帰国する。

箱館府知事として榎本軍と戦った清水谷公考。明治4年にロシア留学のため渡航するもロシアを嫌がり病と称してベルリンに留まりそのままドイツ留学に変更になった。明治8年に帰国している。伯爵。

抜群の強さで戊辰戦争を戦った庄内藩酒井忠篤と忠宝兄弟。忠篤は鹿児島での兵学修行のあと西郷隆盛らの勧めで明治5年にドイツに軍事を学ぶために留学。陸軍士官学校に入学。21歳からの8年間をベルリンで過ごした。明治12年に帰国。陸軍中佐として帰朝したが、いかなる事情か中尉に降格され千葉の佐倉に左遷されるなどの処遇を受ける。郷里鶴岡に戻った忠篤はドイツ留学以降のこの間の事情を終生家族にも語らなかったという。
忠宝は明治6年に法律を学ぶために留学。帰国は12年。

坊城俊章は初代山形県知事を経て明治4年ドイツ留学(軍事)。この人も清水谷公考と一緒でロシア留学をドイツ留学に変更した人。
明治7年帰国。陸軍少佐、貴族院議員、伯爵。

鷹司煕通は九条尚忠の子で鷹司輔政の養子。明治5年ドイツ留学(軍事)。明治11年帰国。侍従長、陸軍少将、公爵。

武者小路実世は明治4年ドイツ留学(法律)。明治7年に帰国。日本鉄道創設に参画。参事院議官、子爵。

姉小路公義は萬里小路博房の子で姉小路公知の養子。明治5年ドイツ留学。明治21年に帰国。外務省に出仕。ドイツ・イタリー公使館に勤務。伯爵。

入江為福は柳原前光実弟明治6年ドイツ留学(農芸化学)。明治7年に病を得て帰国後没した。子爵。

裏松良光は明治5年ドイツ留学。翌年の帰国令に従わず明治8年まで在留。陸軍歩兵少佐、貴族院議員、子爵。

前列の右に座る少年だけは残念ながら誰なのか不明である。公家や大名の子弟の一人だろうから簡単に分かりそうのだが…。
どなたか心あたりのある方がいらっしゃいましたら教えください。