幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

2022-01-01から1年間の記事一覧

幕府軍艦 富士山 その2

富士山は明治9年9月から26ヶ月をかけて改造された。機関部分が撤去され、中央にメインマストが設けられ帆柱が3本になった。我々が富士山の船体の写真としてよく見るのは純帆船となったあと姿だ。帆走練習艦として横須賀鎮守府、呉鎮守府で日本海軍の若人たち…

幕府軍艦 富士山

『アサヒグラフ』(朝日新聞社)は1968年9月に「われらが100年」という増刊号を発行している。 維新から昭和までの歴史100年を写真で振り返るという新聞社系の出版物にありがちな内容のものである。 明治維新から100年なのはもちろんだが、その年の秋に東京百…

京都守護職屋敷剣術大会後の打ち上げ

前回の記事に続き中川四明の「怪傑岩倉入道」から落穂拾い的に面白そうな部分を抜き出したい。小見出し(三)華鬘結(けまんむすび)から、京都守護職屋敷でしばしば催された剣術大会のあとの打ち上げの様子を描写している箇所である。大会に参加した会津藩士や…

元京都見廻組・中川四明の書いた龍馬暗殺

明治時代の京都の代表的俳人だった中川四明。本名は重麗。別号は紫明・霞城。東大予備門教授、京都日の出新聞編集を経て大阪朝日新聞に勤めた。正岡子規と親交があり、満月会を興し新派俳句興隆を促した。 その四明は嘉永2年に京都町奉行与力下田耕助の次男…

北白川宮能久親王と清水谷公考や酒井忠篤たち

名刺判の鶏卵写真。明治6年か7年の撮影だろうと考えられる。留学先のベルリンで写された北白川宮能久親王を囲む公家・大名の子弟らの写真。『海外における公家大名展』(霞会館、1980年)や『坊城俊章 日記・記録集成』(芙蓉書房出版、1998年)といった図録や本…

江川英武の写真

最後の韮山代官だった江川英武の鶏卵紙名刺版の写真。その容姿に「幕末のイケメン」というタグをつけることに異論はないだろう。兄江川英敏の死により幼くして江川太郎左衛門家を継承し韮山代官となった英武。維新後は代官所が韮山県に移行するとそのまま知…

高杉晋作の名刺版写真

慶応2年に長崎の上野彦馬の写場で撮影された写真を複写して、明治に入ってから写真舗で売られたものの一枚だろう。 『幕末明治の人物と風景 ―萩博物館所蔵古写真集成(1)―』(萩博物館、2011年)を見てみると、同館が所蔵しているの高杉の写真の1枚にこの写真と…

第1回内国勧業博覧会集合写真

明治10年8月から上野公園で開催された第1回内国勧業博覧会。その褒賞授与式に集まった内務官僚や関係者の集合写真。古くは勝田孫彌の『大久保利通伝』の下巻に掲載されていて有名な写真である。 2015年に国立歴史民俗博物館で開催された「大久保利通とその時…

酒井玄蕃 晩年の写真

その容姿を大山格之助に「容貌のかくも温和で婦人にも見まほしい美少年であろうとは…」と称された酒井玄蕃。 酒井玄蕃の写真についてはかつて2回ほど記事にしたことがある。 酒井玄蕃の写真 - 幕末 本と写真 酒井玄蕃の写真 その2 - 幕末 本と写真今回は酒井…

土方久元に間違われた土方歳三の肖像写真

土方歳三の肖像写真が明治初期にいわゆるお土産写真として土佐藩の土方久元と間違われて販売されていたという話がある。 子母澤寛が『新選組遺聞』(萬里閣書房、1929年)の巻頭口絵の土方の肖像写真の説明文で以下のように書いていることがネタ元と考えられる…