幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧

花房義質

黒瀬義門編『子爵花房義質君事略』(東京印刷、1913)『子爵花房義質君事略』はゆまに書房で 2002年に日本外交史人物叢書の一冊として復刻出版されたが、やはり図版の綺麗さをとるなら原本を持っておきたい。 口絵写真から花房のイケメンぶりが伝わってきま…

松平容保 その2

松平容保の名刺版鶏卵写真。

松平容保

明治11年に出た戊辰会津戦争を描いた絵草紙『近世会津軍記』より松平容保の肖像。一枚目は当時販売されていた容保の名刺版鶏卵写真を模写したものだろう。

道路拡張前の河原町通り

龍馬の殺害された近江屋が面していた河原町通りは、当時は現在と違い道幅の狭い通りであったことはご存知の方も多いと思います。さて、具体的にどれくらいの道幅だったのか?道路拡張前の河原町通りの写真が『京の町並み 写真で綴る百年』に載っています。四…

南洲、海舟談判の史蹟

『都下に於ける史蹟並天然記念物一班』(内務省地方局編纂部、明治44年)という本から。 この土蔵の写真は諸書で見ることが出来るが、その初出はこの本かもしれない。「南洲、海舟談判の史蹟(芝区田町) 芝薩摩原の電車分岐点に旧式の土蔵一棟あり、前に警…

桑名藩士 瀧 安良

瀧 安良 。桑名藩士。嘉永六年桑名に生まれる。通称鐵次郎。父は太右衛門、母はつね。 六歳にして父を失い家を継ぐ。母によく仕えた真面目な少年だったという。十六歳、戊辰の騒擾に際しては青木市左衛門隊に属し照源寺にて謹慎。明治二年東京に出て謹慎中の…

新選組に斃された男 宮永良蔵

宮永良蔵は、越中国砺波郡福光村出身の蘭医。 医師宮永東作の子として天保四年に生まれる。 嘉永三年医術を学ぶため京に上がる。叔父の僧侶玉瑛のもとに身を寄せ、名医角山に医学を学ぶとともに緒方洪庵、新宮涼亭らの大家と交わる。知恩院上立売下ルで医家…

五代友厚の写真

五代友厚の名刺版写真。コンディションが悪くて恐縮です。

酒井玄蕃の写真 その2

酒井玄蕃の写真をもう一枚。あまり知られていない写真かと思います。後列右から二人目が酒井玄蕃です。「明治四、五年頃 酒井忠宝公近習並周旋方ト東京浅草ニ於テ撮影」前列右より 大島久弥 犬塚勝弥 酒井忠宝公 栗田元輔 伊藤吉太郎後列右より 神戸善十郎 …

堀直虎の写真

慶応四年一月、須坂藩主で若年寄•外国総奉行だった堀直虎は、鳥羽伏見敗戦の後に江戸城内で繰り広げられた主戦派と恭順派の激論のさなかに謎の自刃を遂げる。享年33歳。諸書に掲載される堀直虎の肖像写真は昭和十年発行の『堀直虎公傳』という本の口絵写真が…

町田久成

薩藩英国留学生のリーダーであり、東京国立博物館の創設者でもある町田久成。桐野作人さんは『さつま人国誌』で幕末薩摩藩きってのイケメンとおっしゃっている。町田には遁世の志向があり、晩年は園城寺(三井寺)の塔頭光浄院の住職となった。そこもカッコ…

坂本龍馬と写真を交換したこと

海援隊士だった関義臣が大正12年に発行した漢詩集『秋声窓詩抄』の中に坂本龍馬と写真を交換っこしたという回想があります。 「慶応三年丁卯春、余与阪本龍馬後藤象二郎同在長崎、互写真像交換。而二氏真影仍在於余手、恐其経久磨滅、複写代筆画、縦大尺余、…

龍馬と酒

坂本龍馬は酒が飲めたのか?酒が好きだったのだろうか? 忘年会シーズンがやってきたので、ちょっと考えてみようと思います。明治期の外交官、安藤太郎は幕末期には幕府の海軍操練所、陸軍伝習所を経て幕軍の騎兵となり、さらに榎本艦隊に投じて宮古湾の海戦…

岩波美篶

相楽総三の同志で共に薩摩藩邸に頓集し江戸撹乱を謀った人物に信州諏訪四賀村の岩波美篶という人がいます。その人の孫にあたる岩波春夫の遺した写真アルバムを所有しています。その中に名前が記されていないので像主が誰だが不明なのですが、おそらく春夫の…

松平惟太郎『私の追憶集 梅井はん』

松平惟太郎『私の追憶集 梅井はん』(拓牧社、1985)欲しかった『梅井はん』をよくやく手に入れることが出来た。埼玉の川越に大正時代に建てられた蔦の絡まる煉瓦造の風情のある教会があるのだが、著者はその川越キリスト教会の司祭を長年にわたり務めていた…

後藤直彦

後藤直彦という人物の肖像です。知り得た範囲の略歴は豊後の岡藩の士。 安政三年生る。 文久元年藩校由学館に入る。博覧強記の誉藩中に高く藩主より白銀三百疋を賜る。 慶応元年英式操練を学ぶ。 明治元年徒士隊に編入、また疾撃隊一番隊を命ぜられる。 明治…

坂本龍馬の檜垣逸話をサルベージしてみる

千頭清臣の『坂本龍馬』(博文館、大正3年)は龍馬の様々な逸話を掲載していて龍馬伝説の元ネタとして後年諸書に引用される名著だ。中でも非常に有名な龍馬の逸話に、龍馬の嗜好が長刀→短刀→ピストル→万国公法に変わったというエピソード、檜垣逸話がある。 …

酒井玄蕃の写真

戊辰戦争では新政府軍に連戦連勝して鬼玄蕃と怖れられた庄内藩の酒井玄蕃。 薩摩藩の大山格之助は維新後に東京で玄蕃に会った際、「容貌のかくも温和で婦人にも見まほしい美少年であろうとは…」と驚いたそうです。内田九一の写場での一人写しの写真は有名か…

榎本軍の幹部たちの写真への疑問

箱館戦争の際に榎本軍の幹部たちが写っている有名な写真がある。この写真の後列左の人物は榎本政権で江差奉行並だった小杉雅之進ということになっている。 それは本当なのだろうかという疑問を私はもっている。 この写真は人名の裏書がある台紙付きのオリジ…