幕末 本と写真

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京都守護職屋敷剣術大会後の打ち上げ

前回の記事に続き中川四明の「怪傑岩倉入道」から落穂拾い的に面白そうな部分を抜き出したい。

小見出し(三)華鬘結(けまんむすび)から、京都守護職屋敷でしばしば催された剣術大会のあとの打ち上げの様子を描写している箇所である。

大会に参加した会津藩士や所司代与力や同心(桑名藩士もか)、京都見廻組の組士、新選組の隊士などが裂いたスルメや味噌をつけたネギを肴にして伊丹の樽酒をガンガン飲んで「蠻からの粉本」(バンカラの見本という意味か)のような「酒合戦」を繰ひろげた。酒どころ出身の会津藩士はここぞとばかりに会津訛りの関東弁で(ネイティブ会津弁だとさすがに会話にならないからか)武芸者たちに無理強いして、ついに彼らが泣きを入れるまでグイグイ飲ませた。

むくつけき男どものこの飲み会…パワハラアルハラ全開だ…

「 (三) 華鬘結

今から言て見れば、示威的とも、威嚇的とも謂へやう。一橋中納言慶喜公が若狭屋敷と稱へた泉苑町の西の屋敷にをられた時分、毎日のやうに歩兵の大調練をやった。三兵答知幾(たくちち)など云ふ新らしい反譯書の讀れた時代で、騎兵らしき騎兵はをらなかったが、砲兵も參加して猛烈な發火演習をやったのだ。城下一圓の人家は、障子が震ひ、屋根の瓦が摺落るばかり凄まじい音をさせたのだ。
禁裏守護職の會津、松平肥後守の役屋敷では(今の府廳の處)屢次劔術の大會を催ほした。 見廻組だの所司代組だの、壬生浪と謂はれて蛇蝎のやうに厭がられた新撰組だのが來て多勢で試合をやって其の果てが、いつも引裂鯣に伊丹の薦樽打抜て、葱の白根に生味噌を撫りつけ、それを下物(さかな)に蠻からの粉本とも謂ひたい酒合戦が始まり、汗臭い稽古衣の儘、會津訛りの阪東聲で、無理強ひに強ひ、酒尙且つ辭せない豪傑までが、兜を脱いで降參するまで飲ませたのだ。」