幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

箱館戦争

幕府軍艦 富士山 その2

富士山は明治9年9月から26ヶ月をかけて改造された。機関部分が撤去され、中央にメインマストが設けられ帆柱が3本になった。我々が富士山の船体の写真としてよく見るのは純帆船となったあと姿だ。帆走練習艦として横須賀鎮守府、呉鎮守府で日本海軍の若人たち…

榎本艦隊をとらえた唯一の写真

「榎本艦隊をとらえた唯一の写真」とされるものがある。品川沖脱出直前、慶応四年八月十八日の歴史的な写真だという。刊本での初出は『別冊歴史読本ビジュアル版 イラストでみる箱館戦争』(新人物往来社、昭和63年)ということになるだろう。巻頭に戸高一成…

蝦夷共和国の面々の写真

「蝦夷共和国」の面々のおなじみの写真の複写である。 戦前の五稜郭で絵葉書代わりのお土産として売られていた写真ではないかと推測している。 榎本武揚の写真がないのは、なぜか榎本だけはサイズ違いの絵葉書大になっているため。そちらもいつか紹介してみ…

屋代義雄のこと

埼玉県羽生市の建福寺には田山花袋の小説『田舎教師』の主人公のモデルとなった小林秀三のお墓がおりますが、同寺には屋代義雄という人の墓碑もあります。 屋代義雄は南部の出身で、旧名を高田立春という医師でした。幕末江戸に出て佐藤舜海や松本良順につい…

「意志薄弱」「頼みにならぬ」伊庭八郎の語る榎本武揚

本山荻舟の随筆集の『板前随筆』(岡倉書房、昭和10年)の中に、伊庭八郎の榎本武揚に対する人物評が紹介されている。八郎の弟伊庭想太郎の記憶する兄の言葉だ。興味深い榎本評なので紹介しよう。 ≪ 榎本武揚といへば、後に朝臣となって栄達したので、旧幕臣の…

伊庭八郎の顔

上の写真は伊庭真であるが、この人は伊庭八郎の実父である伊庭軍兵衛秀業の従弟だそうだ。 親類で顔というのはどのくらい似るものなのだろうか? 伊庭八郎の顔はどんな顔だったのだらろう。 八郎の弟の伊庭想太郎の輪郭や顔立ちも伊庭真と似てるといえば似て…

子母澤寛の祖父は幕臣だったのだろうか?

子母澤寛の祖父というのは微禄の御家人であり、上野彰義隊に参加し、敗れたのち箱館でも戦い降伏。士籍を返還して札幌近郊の開墾を経て厚田村に流れ着いて網元や貸座敷業や旅館業を営み、土地の顔役として生涯を終えたという。 この祖父に盲愛にも似た可愛い…

函館の武蔵野楼

明治2年5月10日、翌日の新政府軍による箱館総攻撃をひかえ榎本軍の幹部の面々は武蔵野楼で全滅を覚悟した別れの宴を催しました。 その武蔵野楼の写真を。状態はいまいちなのが残念です。 武蔵野楼は「豊川町の入口の橋の袂に豪気な三層楼の家台骨を構へ、其…

榎本軍の幹部たちの写真への疑問

箱館戦争の際に榎本軍の幹部たちが写っている有名な写真がある。この写真の後列左の人物は榎本政権で江差奉行並だった小杉雅之進ということになっている。 それは本当なのだろうかという疑問を私はもっている。 この写真は人名の裏書がある台紙付きのオリジ…