幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

江川英武の写真


最後の韮山代官だった江川英武の鶏卵紙名刺版の写真。その容姿に「幕末のイケメン」というタグをつけることに異論はないだろう。

兄江川英敏の死により幼くして江川太郎左衛門家を継承し韮山代官となった英武。維新後は代官所韮山県に移行するとそのまま知事になっている。 
明治4年に海軍の官費留学生として「海軍将帥学并砲術修業」のため米国に留学を命ぜられる。出発は岩倉使節団と一緒であった。そこから明治12年の帰国まで8年間も米国で暮らしている。

留学先はニューヨーク近郊のピークスキル兵学校であった。
英武には同兵学校の制服姿で撮られた写真が何枚かあり、韮山の二人の叔母にその写真を送っている。それら英武の肖像写真や兵学校の教師や学友、岩倉使節団の団員たちや留学生と交わした写真群は公益財団法人江川文庫「江川家関係写真」として保存されている。幕末から明治前半まで江川家に伝わった貴重な写真の一部は重要文化財に指定されている。
重文指定を記念して『写真集 日本近代化へのまなざし 韮山代官江川家コレクション』(吉川弘文館、2016年)が刊行されており、その本を開くと端麗な顔の江川英武の写真を多数見ることができる。

今回紹介する江川英武の写真は上記の写真集46頁に掲載されているピークスキル兵学校の制服姿のものと同じ図像である。江川家コレクションのオリジナル写真はティンタイプ(フェロタイプ)とよばれる漆やエナメルで黒く塗った鉄板に写された一種の湿板写真なのだが、こちらは名刺判の鶏卵紙写真である。オリジナルのティンタイプから複写したもので間違いないだろうが、どういった経緯で複写が作られたのかは不明である。江川家コレクションの目録で確認すると現在この写真はイメージ部分(写真本体)のみ残っているようで、他の英武の兵学校制服姿の写真にはある台紙(金色の縁取りの飾り窓が楕円形に開ている)が失われてしまったようだ。この名刺判写真には楕円の飾り窓が写っているので、台紙がまだ付いていた状態のものを複写したものになる。