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戊辰九月三日と六日の土方歳三

「出城劄記」は磐城平藩士神林千次郎が戊辰七月十三日の平城落城から筆を起こした戊辰戦争期の日記である。鶴翁安藤信正を擁して仙台に北走する過程を記す。仙台に入ると城下片平丁の石川大和邸に仮藩邸を置いて、奥羽列藩同盟の一藩として落城後もなお列藩の間で周旋探索し、懸命に時局を捉えようする平藩士の姿を知らしめてくれる興味深い記録である。

 

この「出城劄記」の戊辰九月三日と六日の条に当時在仙台の土方歳三の名前を見つけることができる。

日記によれば神林千次郎は両日土方歳三を訪ね会談している。

このことを土方歳三の行動を日録で追う『土方歳三日記』(ちくま学芸文庫)や『新選組日誌』(新人物文庫)は逸している。

両書は九月三日は仙台城榎本武揚と軍議に参加したことを「石母田頼至日記」と安部井磐根の史談会速記録を使って記すが、この「出城劄記」によれば軍議前の朝の土方の動向を知ることができる。

六日に関しては両書は『磐城三藩明治戊辰戦争余話』から小畑屋での土方と平藩士との面会を記すが藩士名が分かっていない。また土方の方から小畑屋に平藩士を訪ねたのではとないかと解説するが、神林らが土方を訪ねたことがこれで知れる。

ごく些細なことではあるが「出城劄記」によって土方歳三の事歴に加うべきものがあるのだ。この日記の該当部分を抜き出して紹介してみたい。

 

なお、「出城劄記」の読み下し翻刻は『古文幻想』第五号(古文幻想会、昭和58年)に小野一雄によって「出城劄記 ー磐城平藩士神林千次郎北走日記ー」として掲載されている。

 

 

【三日晴

朝、会藩土方歳三を訪う。庄内藩実は幕臣金田百太郎又在りて座す。談話別紙に書す。今日軍議決定あるべしとて喫飲後直ちに会議所へ出たり。午後屋形様通行。その前赤塚行陣あり。木島・伊藤生来訪。弟履も来たる。晩飲す。

 

(中略)

 

六日晴

上坂大夫に同じて土方歳三を訪う。伝習隊加藤正太郎亦来たる。真田勇太郎又在り。談話に時移る。酒肴出る。午前栽松院を訪い弟履と同じて角田邸に到り飲む。山田某と同じて松井館を訪う。榎本泉州、松平太郎軍議す。

○明日渋沢精一郎陸軍隊五十人を引率、払暁福島口へ発す。又明日明後日、仙農兵を引率、仏人共駒ヶ峰に到り胸壁を設く。

○福島口総督土方歳三、生殺与奪之権を握し専ら軍律を握らんとす。】

 

 

日記を遺した神林千次郎は平藩儒者神林復所の次男。惺斎と号す。安積艮斎に学び京阪に遊学し奥野小山、梁川星巌に師事。頼三樹三郎とも交わりがあった。安政六年家督を相続し藩儒となる。天田愚庵はその弟子にあたる。明治七年43歳で没す。墓はいわき市久之浜町の龍光寺にある。

ちなみに日記中に弟履とあるのが神林千次郎の弟で大須賀家の養子となった大須賀筠軒のこと。下の写真の人物だ。筠軒は昌平黌に学んだ秀才であった。

神林家は仙台藩の大槻一族にも比せられるほどの大儒林であったのだ。

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