三宅友信の肖像写真を絵葉書にしたものを入手した。
明治2年の撮影の肖像だという。敷物は初めて見るもので、セットから写真師が誰かを類推することができない。
三宅友信
(『三宅信友侯 鈴木春山 遺芳絵葉書』より)
絵葉書の袋に書かれている上記の伝は簡略に過ぎようか。
三宅友信は渡辺崋山伝中の重要人物として知られるだろう。
友信は田原藩(三宅家)第八代藩主康友の四男として生まれ、九代康和・十代康明は異母兄にあたる。
兄康明が文政10年に亡くなると、後継問題が噴出。血統の友信が藩主となるはずだったが、藩財政が厳しいことから、姫路藩から持参金付きの稲若(のちの康直)が養子として迎えられ、友信は病弱を理由に跡継ぎとして排された。
翌年、友信は前藩主扱いの隠居格とされ、渡辺崋山が友信の側仕えを兼ねるようになる。友信は崋山の勧めにより蘭学研究をするようになり、隠居していた巣鴨の田原藩下屋敷には蘭書が山のように積まれていたという。高野長英・小関三英らに蘭書の翻訳を行わせた。
安政3年には語学力を高く評価され、蕃所調所へ推薦され、翌年に入所している。
没後50年の昭和10年に従四位を贈られる。