幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

道路拡張前の河原町通り

龍馬の殺害された近江屋が面していた河原町通りは、当時は現在と違い道幅の狭い通りであったことはご存知の方も多いと思います。

さて、具体的にどれくらいの道幅だったのか?

道路拡張前の河原町通りの写真が『京の町並み 写真で綴る百年』に載っています。

四条通から河原町通りの北を望む写真です。近江屋はこの道を200メートルくらい行った左側。

「大正中期から末期にかけての写真と思われる。この当時の河原町通りは四、五人並んで通れば肩がふれあうくらいの狭い通り」
田中泰彦『京の町並み 写真で綴る百年』(京を語る会、昭和47年)


大阪毎日新聞京都支局『維新の史蹟』(星野書店、昭和14年)という本からも河原町通りの変遷が分かる部分を抜き出してみましょう。

「京都の心臓部を南北に縦断してゐる河原町通も、十二年前は電車も通らぬ道幅三間半の古風な街並であった。それが大正十三年道路拡張に着工、昭和二年同工事を終へてから街の風貌は一変し、電車、自動車が絶え間なく交流する京都随一の主要道路となり、往年の古い軒の低い家は全く影を潜めたが、この通りの中ほど、蛸薬師下る骨董商井筒屋店頭地籍の雋雄坂本龍馬遭難の地ー当時の近江屋新助、井口醤油店ーは、激しき時の変遷の中にも永遠に忘れ去ることは出来ないところであろう。その近江屋の家屋は、道路拡張の際奥の縁側のあたりまで拡げられたため取り毀されて当時の面影はとどめず、その東隣の井筒屋が同家屋の一部を買収、店舗を拡張しその店頭に今日遭難の碑が建てられ、わづかに“そのころ”を文明の街並に偲ばさてゐるに過ぎない」