幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

知られざる安政五年の坂本龍馬

愛知県岡崎市にある三河武士のやかた家康館という郷土資料館が発行している図録『岡崎藩長尾家と西洋砲術』 に安政五年の龍馬の動向が分かる史料(岡崎藩の西洋砲術家長尾錬次郎興寧の日記「萬代記」)が翻刻されています。そこには江戸での神道無念流の剣術修…

子母澤寛『新選組始末記』『新選組遺聞』

子母澤寛『新選組始末記』(萬理閣書房、昭和3年)この本は荻窪のささま書店で1000円で買ったっけ。でも函がない…。パンツを穿いてないようで落ち着かない…。子母澤寛『新選組遺聞 』(万里閣書房、昭和4年)装丁はこんな感じだったんです。大津絵風?の鬼、ど…

『佐々木只三郎伝』

高橋一雄編『佐々木只三郎伝』(史傳研究所、昭和13年)ずいぶん昔に書架に差すことができた本だ。稀覯本といっていいだろうか。この本は国会図書館にも所蔵が無い。会津若松市立図書館に禁帯出で所蔵されていたり、あと霊山歴史館にもあるくらいのようだ。

嵯峨 寿安

嵯峨 寿安 〈さが じゅあん〉嵯峨寿安は、天保11年金沢市十三間町に生まれる。本名は一正。号は萩浦。父は金沢の眼科医。祖父は大村屋といい、加賀藩直轄領・東岩瀬で伝馬屋を営んでいて、なかなか裕福な家庭であった。金沢では藩校壮猶館で西洋医学を黒川良…

平尾道雄『新撰組史』『新撰組史録』

平尾道雄の新撰組研究の古典的名著のいろんな版を持っていたりする。左から 『新撰組史』(私家版、昭和3年) 『新撰組史録』(育英書院、昭和17年) 『新撰組史録 改装版』(岬書房、昭和48年) 『定本新撰組史録』(新人物往来社、昭和52年) 『定本新撰組…

函館の武蔵野楼

明治2年5月10日、翌日の新政府軍による箱館総攻撃をひかえ榎本軍の幹部の面々は武蔵野楼で全滅を覚悟した別れの宴を催しました。 その武蔵野楼の写真を。状態はいまいちなのが残念です。 武蔵野楼は「豊川町の入口の橋の袂に豪気な三層楼の家台骨を構へ、其…

会津の「旅館 清水屋」

明治15年、自由民権活動家の田母野秀顕、宇田成一らが反民権派の旧会津藩士ら(帝政党の面々)の襲撃をうけてボコボコにされてしまった「清水屋事件」の舞台。というよりも戊辰戦争の際、戦傷療養中の土方歳三が泊まり同宿の幕臣望月光蔵と口喧嘩になって望月…

『北洲新話』

箱館戦争の戦記として評価が高い『北洲新話』は元彰義隊士丸毛利恒が幽囚中に綴ったもの。 雑誌『旧幕府』に「函館戦史」として改題連載されて世に出たが、そこでは惜しくも貴重な挿絵は割愛されている。昭和15年に海軍有終会が非売品として発行した『北洲新…

会津鶴ヶ城の写真

鶴ヶ城天守の写真悲壮美を感じさせる会津鶴ヶ城の写真。撮影者は今のところ不明とされる。ただ、徳川林政史研究所の所蔵になる鶴ヶ城の写真がヒントになるだろうか。その写真はガラス湿板だかオリジナル原板ではなく、印画紙に焼き付けられた写真を複写した…

『名流談海』

明治32年に博文館から出版された大橋乙羽の『名流談海』は当時の名流の談話を「其の儘写して世に廣むる」という談話集。 勝海舟や伊藤博文、山県有朋、大隈重信、福地桜痴、栗本鋤雲などが談話を寄せている。袖珍本ながら興味深い一冊だ。 口絵に載せている…

『絵入通俗 西郷隆盛一代記』

村井弦斎『絵入通俗 西郷隆盛一代記』はもともと報知新聞の附録として読者に配布された別紙の連載記事を書籍化したもの。明治31年から33年にかけて報知社により全6巻が刊行された。村井弦斎と報知新聞の部下だった福良竹亭との共著ということになっている。…

江藤新平の写真

江藤新平の名刺版写真。

『正智遺稿』

『正智遺稿 岩橋教章遺稿集〔覆刻版〕』(明治美術学会、2008年)原本は1911年に台北で発行された私家本でかなりの稀覯書だ。当然古書価も高くてとても私のようなものには手が出ない。 なので明治美術学会が覆刻してくれた際は心から御礼を言いたかった。岩…

龍馬暗殺メモ その1

「たとえば高台寺党説」平戸藩出身で島根、新潟、滋賀の県知事や元老院議官、貴族院議員を務めた籠手田安定は「牧民偉績」(未刊)という自伝を残している。 籠手田が生前友人の北川舜治に自記を託し北川が整理執筆したものだ。 その中から籠手田が慶応3年に…

花房義質

黒瀬義門編『子爵花房義質君事略』(東京印刷、1913)『子爵花房義質君事略』はゆまに書房で 2002年に日本外交史人物叢書の一冊として復刻出版されたが、やはり図版の綺麗さをとるなら原本を持っておきたい。 口絵写真から花房のイケメンぶりが伝わってきま…

松平容保 その2

松平容保の名刺版鶏卵写真。

松平容保

明治11年に出た戊辰会津戦争を描いた絵草紙『近世会津軍記』より松平容保の肖像。一枚目は当時販売されていた容保の名刺版鶏卵写真を模写したものだろう。

道路拡張前の河原町通り

龍馬の殺害された近江屋が面していた河原町通りは、当時は現在と違い道幅の狭い通りであったことはご存知の方も多いと思います。さて、具体的にどれくらいの道幅だったのか?道路拡張前の河原町通りの写真が『京の町並み 写真で綴る百年』に載っています。四…

南洲、海舟談判の史蹟

『都下に於ける史蹟並天然記念物一班』(内務省地方局編纂部、明治44年)という本から。 この土蔵の写真は諸書で見ることが出来るが、その初出はこの本かもしれない。「南洲、海舟談判の史蹟(芝区田町) 芝薩摩原の電車分岐点に旧式の土蔵一棟あり、前に警…

桑名藩士 瀧 安良

瀧 安良 。桑名藩士。嘉永六年桑名に生まれる。通称鐵次郎。父は太右衛門、母はつね。 六歳にして父を失い家を継ぐ。母によく仕えた真面目な少年だったという。十六歳、戊辰の騒擾に際しては青木市左衛門隊に属し照源寺にて謹慎。明治二年東京に出て謹慎中の…

新選組に斃された男 宮永良蔵

宮永良蔵は、越中国砺波郡福光村出身の蘭医。 医師宮永東作の子として天保四年に生まれる。 嘉永三年医術を学ぶため京に上がる。叔父の僧侶玉瑛のもとに身を寄せ、名医角山に医学を学ぶとともに緒方洪庵、新宮涼亭らの大家と交わる。知恩院上立売下ルで医家…

五代友厚の写真

五代友厚の名刺版写真。コンディションが悪くて恐縮です。

酒井玄蕃の写真 その2

酒井玄蕃の写真をもう一枚。あまり知られていない写真かと思います。後列右から二人目が酒井玄蕃です。「明治四、五年頃 酒井忠宝公近習並周旋方ト東京浅草ニ於テ撮影」前列右より 大島久弥 犬塚勝弥 酒井忠宝公 栗田元輔 伊藤吉太郎後列右より 神戸善十郎 …

堀直虎の写真

慶応四年一月、須坂藩主で若年寄•外国総奉行だった堀直虎は、鳥羽伏見敗戦の後に江戸城内で繰り広げられた主戦派と恭順派の激論のさなかに謎の自刃を遂げる。享年33歳。諸書に掲載される堀直虎の肖像写真は昭和十年発行の『堀直虎公傳』という本の口絵写真が…

町田久成

薩藩英国留学生のリーダーであり、東京国立博物館の創設者でもある町田久成。桐野作人さんは『さつま人国誌』で幕末薩摩藩きってのイケメンとおっしゃっている。町田には遁世の志向があり、晩年は園城寺(三井寺)の塔頭光浄院の住職となった。そこもカッコ…

坂本龍馬と写真を交換したこと

海援隊士だった関義臣が大正12年に発行した漢詩集『秋声窓詩抄』の中に坂本龍馬と写真を交換っこしたという回想があります。 「慶応三年丁卯春、余与阪本龍馬後藤象二郎同在長崎、互写真像交換。而二氏真影仍在於余手、恐其経久磨滅、複写代筆画、縦大尺余、…

龍馬と酒

坂本龍馬は酒が飲めたのか?酒が好きだったのだろうか? 忘年会シーズンがやってきたので、ちょっと考えてみようと思います。明治期の外交官、安藤太郎は幕末期には幕府の海軍操練所、陸軍伝習所を経て幕軍の騎兵となり、さらに榎本艦隊に投じて宮古湾の海戦…

岩波美篶

相楽総三の同志で共に薩摩藩邸に頓集し江戸撹乱を謀った人物に信州諏訪四賀村の岩波美篶という人がいます。その人の孫にあたる岩波春夫の遺した写真アルバムを所有しています。その中に名前が記されていないので像主が誰だが不明なのですが、おそらく春夫の…

松平惟太郎『私の追憶集 梅井はん』

松平惟太郎『私の追憶集 梅井はん』(拓牧社、1985)欲しかった『梅井はん』をよくやく手に入れることが出来た。埼玉の川越に大正時代に建てられた蔦の絡まる煉瓦造の風情のある教会があるのだが、著者はその川越キリスト教会の司祭を長年にわたり務めていた…

後藤直彦

後藤直彦という人物の肖像です。知り得た範囲の略歴は豊後の岡藩の士。 安政三年生る。 文久元年藩校由学館に入る。博覧強記の誉藩中に高く藩主より白銀三百疋を賜る。 慶応元年英式操練を学ぶ。 明治元年徒士隊に編入、また疾撃隊一番隊を命ぜられる。 明治…