幕末 本と写真

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熊谷勤吾

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日田にあった西国筋郡代。幕末最後の郡代を勤めたのが窪田治部右衛門鎮勝であった。元治元年から慶応4年の肥後落(郡代の逃亡)までの5年間にわたり九州の幕府領を統治してきた。私は窪田治部右衛門のことは幕臣の中でも存在感のある注目すべき人物だと思っている。しかし今回はその窪田のことではなく、日田御役所の御側小姓役として窪田郡代の身近に仕えていた熊谷勤吾という人をこのウェブログ中のタグ「幕末のイケメン」を付けて紹介したい。


熊谷勤吾は弘化4年の生まれ。18歳頃に日田の陣屋勤めをはじめた。窪田が行くところ何処にでも随行して秘書兼警護役を勤めた。窪田にお供して長崎行や小倉戦争にも出陣している。長崎行の際には川路聖謨にも会っており、記念に川路から扇面に揮毫を貰ったことがあるそうだ(いつのことだろう?本当だろうか?)。川路のことを痩せ柄の髪の毛の薄く目の鋭い老人だったと回想している。
慶応4年の郡代の肥後落にも随行。
維新後は戸長や大波羅神社の祠官を長年勤めるかたわら歌道に精進し昭和7年85歳で没した。

25歳頃の凛々しい写真が残っている。明治5年ごろ、この人が日田で最初に断髪したそうで、それを記念して撮ってもらった写真だそうだ。日田では森山国蔵という写真師が当時開業しており、あるいは森山が撮影したものかもしれない。
勤吾が断髪したとき彼の弟は兄の姿を見て驚きサメザメ泣いたという。