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原市之進『尚不愧齋存稿』

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原市之進の遺稿集『尚不愧齋存稿』。
この本については高梨光司の解説(『維新史籍解題』)が簡潔にして明瞭なので引用させてもらおう。

【『尚不愧齋存稿』和四冊 線引泰編

水戸藩士にして、徳川慶喜の左右に侍し、その帷幄の概機に參せる原市之進(名忠敬、後忠成、字仲寧、號伍軒、尚不愧齋)の遺稿にして、書中「督府紀略」一篇は、市之進が、文久慶應の間、數度慶喜に隨行して、上京し、みづから見聞する所に基き、慶喜の内外時局に處せる經緯を記せるもの。上中下三卷の中、下卷の後半な闕くも、筆を京師に於ける慕府の職制に起し、安政以來の政情を叙し、文久三年の大勢一變に至る。盖し維新史料の一として、極めて貴重なるものなリ。
(明治十七年三月 東京 吉川半七 唐本仕立 各冊約五〇丁)】
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一巻には昌平黌の同窓だった薩摩の重野安継や仙台の岡鹿門の序を寄せている。
京において原と交流した安達清風の後序は彼の人となりの分かるものになっている。興味深いものなので抜き出してみよう。原は国事のことで頭が一杯で、酒席で美妓が目の前にいてもいっこうにそれに構うことはなかったという。朴念仁もかくやという態度でおそろしく真面目な人物だった。

「諸語勤上の士タ東山に会飮し共に天下の事を論じ、鮮を撃ち妓を呼びて狂歌剣舞、傍ら人無きか如し。面して仲寧才識迢邁、敢へて疾言遽色、人と長短を争わず。名妓麗妹多く意を属す。面して仲寧未だ曽て一顧せず。酒酣にして則ち袂を揮って去る。余曽てこれを戯れて日く、公はとんど人情に非ずと。仲寧色を正して日く、国家正に艱難、豈花柳に流連するの時ならんやと。余竊かに其操守に服す。 〔原漢文〕」

原には単書の伝記というものが私の知る限り極めて少ない。ふるさと文庫の松本佳子『原市之進』( 筑波書林、1990)、久野勝弥『原伍軒と「菁莪遺徳碑」』(水戸史学会、2005)くらいではないだろうか。あとは一冊の本ではないが『徳川慶喜公伝』の原の略伝部分が今も昔も基礎資料になっている。
幕末政治史研究が新たな地平を見せてくれている昨今、一会桑勢力の重要人物である原の伝記が更新され単書として編まれることを私は熱望している。
徳田力さんの一連のお仕事のように、ある人物の遺稿として残さている漢詩文を読み込んで有益な伝記資料として使う方法、あのメソッドをこの『尚不愧齋存稿』にも駆使すれば、原の生涯を今まで以上にクリアにできるのではないだろうか。そのうってつけの材料に『尚不愧齋存稿』はなるのと思う。