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幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

『絵入通俗 西郷隆盛一代記』

村井弦斎『絵入通俗 西郷隆盛一代記』はもともと報知新聞の附録として読者に配布された別紙の連載記事を書籍化したもの。明治31年から33年にかけて報知社により全6巻が刊行された。

村井弦斎報知新聞の部下だった福良竹亭との共著ということになっている。しかしネタ集めや取材のほとんどは福良竹亭が行い原稿も書いたもので、村井はそれに手を入れただけだったという。

当時の人気作家だった村井弦斎はこの作品を春陽堂から出そうと連載中から同社と出版の約束をしていたそうだが、読者からの大反響に気を好くした報知社が村井に無断で自社から単行本として刊行してしまった。怒った村井弦斎はこれがきっかけで報知社を退職することになった。後に両者は和解し、同じ作品が春陽堂からも『絵入通俗西郷隆盛詳伝』という別タイトルで刊行されている。

さてこの『西郷隆盛一代記』は私にとっては単なる西郷の伝記という以上に魅力のあるものなっている。それというのも、この本は戊辰戦争に関してやけに力が込められた記述がなされているからだ。

全6巻中の3巻から6巻までを割いて鳥羽伏見の戦いから箱館戦争までの戊辰戦史を描いている。とりわけ第4巻の途中からと第5巻は会津戦争の巻になっており、分量も多く取材も広範に行われていて会津戦争の良質の資料となっている。
質の高さをしめす証明として、この本は長年謎だった西郷頼母邸での頼母の娘の介錯をした人物を土佐藩中島信行ではなく薩摩藩士の川島信行だと特定するのに主要な材料にもなった。(「川島信行氏の実話 西郷家の惨死を目撃する事」という章に語られることを西郷頼母研究家の牧野登が着目したのだ)

著者の福良竹亭は関係者によく取材し証言を集めていて、藤田五郎(斎藤一)の夫人だった藤田時尾 からも証言を採取していたりする。「会津家奥女中たりし藤田時尾女が記者に語られたる」としてとして開城後に照姫に付き従った際の思い出を語っている。
少し抜き出してみよう。

「亡国の婦人ほどはかなくまた情けなきものはあらじと妾等は感じたり、三十余年を経たる今日なれども、当時の事を思ひ出づる毎に、涙の袖を湿ほすを知らざるなり、三十余年は愚か、妾は此世にあらん限り忘るる能はざるは此かなしみなり」

この他にも別の巻には大隈重信や野田豁通の談話証言を分量も多く載せていたりしていて貴重な資料となっている。

さて、この『絵入通俗 西郷隆盛一代記』は西郷の伝記なのにも関わらずなぜ会津戦争の記述が充実しているのか。
それは実に意外な理由からだ。

薩摩の郷中制度の教育と会津藩の子弟教育とが、禁欲的で義を尊び尚武忠勇の気風を重んずる点で実に似ていて、会津の玉砕精神に薩摩隼人の潔さと似た点を見いだしている。そのことを「会津武士の気風薩摩武士に似たる事」という章題で縷々述べている。
薩摩藩会津藩の士風が似ているという理由から、この本は西郷の伝記でありながら会津藩の義に殉じた精神を熱の込もった記述で大いに称揚している。
会津藩の顕彰になっているのだ。

はじめは新聞に好評連載され、さらに後に二つの版元から刊行されたこの本の内容が読者に与えた影響は少なくなかっただろう。当時の人々に会津藩のある種のイメージを浸透させたに違いない。
私は今にいたる会津藩像の形成に西郷隆盛のこの伝記の果たした役割は少なくないものがあったと考えている。
しかしいま、会津藩を好きな人々の多くは薩摩藩及び西郷嫌いを表明していたりする。
皮肉なことだと思う。