幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

清河八郎の生家

清河八郎は現山形県東田川郡庄内町清川の出身。大庄屋格斎藤家の長男として生まれた。

酒造業も営む斎藤家は大変裕福な家であった。その斎藤家の写真(明治後期ころ)を本やネットで見たことがある方も多いだろう。
たとえばこちらのサイトで見ることができる。
ものすごい先生たちー82 ( 清河八郎・伝記ー1 ・ 誕生、 清川村 ) - 日本国家の歩み
正面の清川学校に伸びる道の左側に斎藤家の外観の一部(板塀と通用門、高くおい繁った屋敷林)が写っている。清河の伝記本や新選組関係の本によく載る写真だ。

これとは別の写真もあり、そちらも板塀と通用門と鬱蒼とする屋敷林が写っているほぼ同じような写真ながら画角はより斎藤家に向けられている。そちらは清河八郎に詳しいこちらのサイトで見ることができる。
清河八郎人物図鑑(齋藤家とその時代)〜回天の魁士 清河八郎〜


これらの写真を見ると斎藤家の豪家ぶりがよく分かる。しかし惜しむらくは斎藤家の建物自体、母屋や屋敷内の様子のなどが分かるものにはなっていない。私は長い間清河八郎を育んだ斎藤家の建物が分かる写真を見たいと願っていた。

数年前に訪れた清川の斎藤家跡地は何もない駐車場っぽい空き地になっていた。清河の生家を示す看板がだだっ広い空間に立ててある。その場所に立つと斎藤家が巨大な屋敷であったことが体感的に分かった。遺構はなにも残っていない。清河の育った家屋敷を想像できるようなもの、そのよすがとなるような他の写真資料はないのだろうか。

後に陸羽西線となる清川地域の鉄道敷設工事の様子をテーマにした明治末から大正初年ごろ発行の絵葉書「横断線工事記念絵はがき」(齋富商店発行)というものを手に入れた。その中の一枚が清川の町を俯瞰した写真であった。大正初年ころの清川の街を見ることができる絵葉書である。
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明治天皇明治14年の東北巡幸の際に行在所になった清川学校が表題になっている。右上にその2階建ての特徴的な建物(名棟梁高橋兼吉による疑似洋風建築)があるのがすぐに分かる。この清川学校の場所から考えてここだと思われる位置に屋敷林に囲まれた大きな屋敷が認められる。清河八郎の生家斎藤家であろう。拡大して青い破線で囲ってみた。その目印のポイントを見てほしい。

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古い絵葉書のうえに遠景なので明瞭に屋敷の様子が分かるとまではいかないのだが、屋敷の両端に樹木がうっそうと繁り、母屋と思われる2階屋の建物とそれに連なる建物、最上川側に小さな三角屋根ふうな2階屋の建物(最上川の眺望が素晴らしかったという楽水楼か?)があるのがわかる。清河の生家の建物を遠目ではあるが見ることができる写真だ。現在の地図と見比べると生家跡地になっている空き地より北西のもう一区画の半分ほどまで斎藤家の屋敷地がおよんでいるように見える。
手前には清河八郎墓所がある歓喜寺も写っている。
なかなかに貴重な絵葉書なのではないかと独りごちている。