幕末 本と写真

蔵書紹介系 幕末維新探究ブログ

2016-01-01から1年間の記事一覧

新選組 成合清の叔父さん

日光街道旧粕壁宿(春日部)の東陽寺に旧桑名藩士 浅野蕉斎の記念碑が建っています。 文政7年に桑名で生まれた浅野は、藩の御側役や勘定頭も勤めた優秀な藩士でした。藩主が京都所司代となり藩内多事を極める中、会計の任にあたりよくその職に尽くしたといいま…

三世 柳亭種彦の佐幕

「明治最初の文壇小説家」といわれる三世柳亭種彦こと高畠藍泉はイケメンというよりもハンサムという言葉が似合う容姿だ。 「種彦氏は写真にも見える通り痩ぎすな苦味走つた風貌、性質は稍や神経質の勝つた人であつた。稍や強情な処もあつたが友情に厚く世話…

『小伝乙骨家の歴史』『明治の兄弟』

ブックオフで購った古本2冊。 永井菊枝『小伝乙骨家の歴史 ー江戸から明治へ』(フィリア、2006) 右の本は幕臣・乙骨家について。甲府徽典館学頭の乙骨耐軒から、その子で幕末の英学者乙骨太郎乙、さらにその子で童謡「はとぽっぽ」「汽車」「浦島太郎」の…

原田左之助は龍馬と別府温泉に入ったのか

明治17年の11月の『東京自由新聞』第735号の雑報に「二宮新吉傳一夜説」という記事が載った。伊予宇和島の志士二宮新吉(呉石)の事歴に関する投稿記事で、投稿したのは二宮新吉を知る東京麻布に住む青木知友と名乗る人物。 この記事に興味深いことが書かれ…

蛭川一の顕彰碑

伊東成郎さんがお書きになったものに「新選組金談一件」(『三井文庫論叢』)という史料の紹介があります。その史料によると土方歳三は「室賀美作守様御用人之次男之由」と書かれているそうです。土方が旗本・室賀美作守の用人の子供だったという事実はない筈…

福永恭助『 海将荒井郁之助』

以前購った古本を3冊紹介してみます。 まずは真ん中。 福永恭助『 海将荒井郁之助』(森北書店、昭和18) この伝記は書き手に人を得なかったようであくまで読み物風。通俗小説的な文体の上に事実関係にアラが目立つ。福永はモダニズム雑誌『新青年』に寄稿し…

高知県士族 岩田正彦

昭和2年発行の福島成行『征韓論餘聞 赤坂喰違事変』という本から。 明治7年1月、赤坂喰違坂で岩倉具視の暗殺を企て襲撃した九人の中の一人、高知県士族 岩田正彦。斬首となった。

孝明天皇の等身大人形

前回の投稿に続いて『五十年の夢 柳昇遺稿』(非売品、大正8年)からまた幕末の等身大人形に関する逸聞を。 孝明天皇が自身の等身大人形を作らせると、その人形の「業」にて俄かに病気になり、ついには崩御あらせられたいう噂。人形霊の話。 「十二月に入りて…

ダッチワイフと徳川慶喜

幕末に朝廷の図書寮史生だった舟木宗治(号柳昇)はあまりに小禄だったため副業として宮中、宮家、門跡、堂上方に出入りして御手道具、袋物、小間物、玩弄具などを調達することも生業もしていた。舟木は生来の記録魔でもあったためその立場を活かして自らの…

砲術家としての藤堂平助

新選組の藤堂平助は撃剣家の他にも砲術家としての一面があった人である。このことはもっと世に知られるべきことではないか。 池田屋事件の働きで褒賞を受けた藤堂平助は元治元年8月には江戸に下り、以後しばらく江戸に在って隊士募集の役を担っていたとされ…

彰義隊士 水橋右京之亮の墓

埼玉県深谷市畠山にある満福寺というお寺は、畠山重忠が寿永3年(1184)に再興したという由緒ある真言宗の古刹です。そのお寺に慶応四年五月二十九日にこの地で没した彰義隊士水橋右京之亮の墓があります。 水橋は「此士上野及飯能に敗れ、顔振峠竹澤臺福寺…

甘利源治の墓

中村彰彦の短編小説に「甘利源治の潜入」という作品がある。 韮山の農兵だった原宗四郎という男が会津藩に密偵として仕えて甘利源治と名乗り、幕府への挑発のために浪士を集めて御用盗騒ぎを起こし江戸市中を撹乱していた薩摩藩江戸藩邸に潜入し、その策謀と…

長身でロン毛のメガネ男子 陸奥宗光

西南戦争に乗じて政府転覆を謀った立志社事件に関与した陸奥宗光は、禁獄5年の刑に処せられ山形監獄、続いて宮城監獄に投獄される。 明治16年赦免。 出獄し東京に帰る前に記念写真を撮った。 左から二人目。長身、ロン毛。メガネ男子の陸奥宗光である。 宇…

山田顕義

明治4年、米欧を歴訪する岩倉使節団の中に少年みたいな人物が加わっているのを見つけて欧州人は驚いたそうだ。 山田顕義のことである。 「顕義、時に歳未だ三十に満たず、矮小にして白皙無髭なり、欧人、皆怪み問ふて曰く 日本には少年の将官あるやと。」

ヒゲを生やした土方歳三⁈

箱館では実はヒゲを生やしていた土方歳三⁈ 『大日本名家肖像集」(経済雑誌社、明治40年)が掲載するものだ。 いやいや、川村録四郎の別バージョンの写真だろうて。※追記好川之範『土方歳三最後の戦い 北海道199日』(北海道新聞社、2014)もこのヒゲ土方を…

有馬藤太の写真

流山で近藤勇を降伏させ、その助命を訴えていた薩摩藩士 有馬藤太(真ん中の人物) 晩年の立派なヒゲの写真(『維新史の片鱗』)は知られているかと思います。こちらはそれよりもだいぶ若い時の写真。 両サイドは左が今泉利春(佐賀藩)、右は近江西郷と言わ…

箱館戦争の史料覆刻本

市立函館図書館蔵郷土資料複製叢書という函館市立図書館発行の函館の郷土資料の叢書がある。 その内の27巻『一年乃夢/蝦夷土産』、28巻『峠下ヨリ戦争之記』、31巻『麦叢録』は箱館戦争に関わる史料の覆刻本になっている。 この叢書には他にどんな書目があ…

長唄の師匠となった彰義隊士関弥太郎

岡安喜平次こと関弥太郎は幕臣として船橋(撒兵隊)から上野、箱館(彰義隊)と戊辰戦争を戦った人物。その墓が埼玉県鴻巣市の法要寺にある。 関弥太郎は明治9年頃から鴻巣に住んで、岡安喜平次と変名し、長唄の師匠となって風雅の道に世を過ごした。その門弟は…

『幕末之偉人江川坦庵』

矢田七太郎『幕末之偉人江川坦庵』(國光社、明治三十五年) 以前江川太郎左衛門英龍の古い伝記を古本屋で1700円で購った。 安く手に入ってのでラッキーだと思ったのだが、驚いたことにその本の旧蔵者は庄内藩出身の俣野景孝だったようだ。とびらの裏に書き…

木戸孝允の写真

木戸孝允の名刺版鶏卵写真5種

矢田部郷雲の墓

江川坦庵に仕えた幕末の蘭学者矢田部郷雲の墓をその生地に訪ねた。 矢田部郷雲は文政二年に埼玉県上里町勅使河原字天神の荒井家に生まれる。 江戸深川の坪井信道の日習堂に入門し蘭方医学と蘭語を学んだ。 坪井の門人録には「矢田文庵 武州賀美郡天神村 改名…

ワキガの臭いが好きだった後藤象二郎

田中光顕の証言によると後藤象二郎はワキガの臭いが好きだったらしい。 「(後藤は)是が又変つた男でね。腋臭の臭ひが好きだと云ふのぢや。それで女の腋臭の臭ひをハンケチに付けて時々出して嗅いで見ると云ふのぢや」 『伯爵田中青山』(田中伯伝記刊行会…

美少年すぎてしまった福岡孝弟

藤次と名のっていた若いころの福岡孝弟は土佐藩中一ともいわれるほどの大変な美少年だった。その美貌ゆえにとんだ災難にあったことがある。壮年の藩士8人に山に連れ込まれ強姦された(されそうになった?)というのだ。 荘司晋太郎『海南愛国民権家列伝』(明治…

戊辰九月三日と六日の土方歳三

「出城劄記」は磐城平藩士神林千次郎が戊辰七月十三日の平城落城から筆を起こした戊辰戦争期の日記である。鶴翁安藤信正を擁して仙台に北走する過程を記す。仙台に入ると城下片平丁の石川大和邸に仮藩邸を置いて、奥羽列藩同盟の一藩として落城後もなお列藩…

大鳥圭介の写真3

これは楕円のマスクがついて下部に出身と名前が入った典型的なお土産販売写真。 旧幕臣だからシツヲカとなっている。

大鳥圭介の写真2

大鳥圭介の写真1

大鳥圭介の肖像 名刺判鶏卵写真 痛みがはげしい…

西山尚義

西山 尚義 「是れ西山尚義が肖像なり。眉目清秀、風貌温乎たるを見る。」 「通称謙之助、弘化二年四月、可児郡久々利の旗本千村氏の侍医西山春成の家に生る。文久三年正月、千村氏の中小姓となり、側役たり。慶応二年三月仕を辞して江戸に遊び、剣客斎藤弥九…

土方歳三を「斗筲の小人」と評した遠藤文七郎

奥羽越列藩同盟の諸藩が次々に新政府軍に恭順する中で、同盟の盟主だった仙台藩も明治元年9月10日の評定において主戦派が斥けられ、遂に藩論は降伏へと変化することとなった。この事態を憂慮した榎本武揚は、12日に土方歳三を伴って仙台城に登城し抗戦を続け…

子母澤寛『新選組』

子母澤寛『新選組』維新歴史小説全集 第7巻 (改造社、昭和10年)この全集の装丁は非常にかっこ良い!木村荘八の仕事。